人生を好転する、とてもシンプルで、かつ究極の方法は、「自分を愛すること。」これに尽きるようです。

 

 回復への道へと入ってから、自分なりに「自愛」に励んでいたつもりでした。

 

 しかし、人生が好転したように感じなくて、何度も繰り返す、怒りの問題に直面していました。気づけば、悲嘆、憂い、悲しみ、怒り、恨み、不信感の中に、心が落ちていくのです。

 

 思考癖や制限、不健全な思い込みなどが原因であることはわかっていても、そこから抜け出せない自分がいました。

 

 軽やかに人生を楽しむ自分の姿は、未来にはっきりと見えているし、そこに行きたいと切望しているのに、なんだか壁が立ちふさがる、そんな気分でした。

 

 カウンセラーさんから、「自分に厳しすぎる。自分を軽視しすぎている。」と何度も、その言葉をもらいました。

 

 その度に、気を引きしめて、「自愛しよう!」と決意するのですが、気が付けば、インナーマザーの声なのか、「このままじゃだめだ。もっと頑張らないと。」という姿勢になっていました。

 

 今はもう、心の中にいる裁判官は追放したので、そんな声が出てくることは、なくなったのですが、どうやら、自分を条件付きで愛していたのかもしれない、と気づきました。

 

 だから、何もしないで家にいたりする日は、なんだかもやもやが募ります。何か、楽しいこと、生産的なこと、有意義に過ごしたという実感がないと、そんな自分の一日の過ごし方に、納得がいかなかったのです。

 

 しかし本来、自分を無条件で、どんな状態の自分をも愛するということは、呼吸をするように、自然とできるはず。

 

 それが、できないのは、頑張らなければいけない環境を生きてきたからに他なりませんが、頭で考える自愛は、表面を、ただ引っ搔いている程度の、極小レベルだったみたいです。

 

 AC出身の人達には、思い当たる節があるのではないでしょうか?

 

 自愛しても、他人軸からなかなか抜け出せないという人は、おそらく自愛するレベルと質が、圧倒的に足りていないのだと思います。私自身がまさにそうです。

 

 今まで全く自愛せずに、自分を罰し、虐げてきたのは、紛れもない自分自身。少しずつ、少しずつ、自愛のレベルを高めていきましょう。