人は誰でも 自分の親が一番大好きな存在であり 尊敬したいと思っています。

 

 でも、悲しいかな現実は、そうではないことが多々あります。幸せな家庭環境に恵まれ、自己肯定感も自信も愛情も、しっかりと育むことが出来る幼少期を過ごした人は、とても恵まれているといえます。

 

 一部の恵まれた人達には、「どうぞ、そのまま素晴らしい人生を展開していってください」という言葉しか、私には思い浮かびません。

 

 私は、重たい心の傷を背負ってきた、一人の人間として、同じような境遇に生きる人達が、一日でも早く、その状態から脱出できるようにエールを送るつもりで、自分の人生で体験してきたこと、悩み苦しんできたこと、それを糧にして再び生きる力を蘇らせて、心身共に生まれ変わり、楽しく生きていく過程をブログに綴っています。

 

 この感じ方は、あくまでも私個人の私見になるので、そうではないと感じる人も、きっとたくさんいることでしょう。

 

 このブログを読む人が果たしてどの程度いるかは、定かではありません。今のところ、ごく少数でも、読んでくださっている方、本当にどうもありがとうございます。

 

 それでも、私は、私の思いの真実を語ることによって、どこか心の琴線に触れ、光を見出す人が、たとえ一人でもいるならば、ブログを公開する意味があると思っています。

 

 さて、今回のテーマです。「親を冷静に見極める」ということについて、私が思うことを書きます。

 

 私は重度の共依存だったので、私は長い間、全く自覚なく洗脳状態にありました。

 

 自分の親が、世界で一番、素晴らしい親であると信じて疑いませんでした。世界一私は幸せ者で、世界一の幸せな家族だと思い込んでいました。

 

 でも私の人生はとてもつらく、上手くいかない事の連続でした。絶えず、いろいろなことに苦悩し、激しい怒りや悲しみの感情を抱えていました。

 

 胸や喉が詰まり、心がいつも窒息しているような正体不明の苦しさと、いつも安らぐことが出来ず、始終緊張しっぱなしで、身体がぎゅっと硬直しているのを感じていました。心はいつも、些細なことに激しく揺れ動き、とても不安定。それは、幸せな結婚をして、最愛の夫を得ても、なおそうだったのです。

 

 そんな毎日の中、私に勇気と相当の覚悟をもって、私の原家族の異常さを指摘し、私の心を呼び覚ましてくれたのは、出会ってくれたカウンセラーさんのおかげです。彼女には本当に感謝しているし、彼女のことを思う度に、感謝の涙が溢れます。

 

 彼女の一言がなければ、今の私は存在していないのです。

 

 もし、あのままだったら、洗脳状態はますますひどくなり、精神的に病み、親よりも先に命を落としていたかもしれません。母という牢獄の中にいることさえ、気づくことのないままに…。

 

 それでも私は幸運でした。カウンセリングを受けることができたのだから。彼女は「私をカウンセリングすることは、大きな大きなチャレンジだ。」と言いました。

 

 それは私が、相当重度であり、おそらくもう少し取り掛かるのが遅かったら、手を尽くしても、手遅れだったのでしょう。家族間の関係の異常さを知らないまま、生涯を終える人もたくさんいます。

 

 そして、カウンセリングしたとしても、果たして回復していけるのか、ぎりぎりのところだったのかもしれません。

 

 共依存者は、カウンセラーとも共依存になりやすいという危険性があります。それに加えて、べき思考や、全か無かという極端な思考癖もあり、怒りの問題も抱えているので、途中でカウンセリングを投げ出す可能性も大きいのです。

 

 そんなリスクも全て引き受けた上で、カウンセリングをしてくれたのです。きっとこれからの人生で、こんなに素晴らしい人に出会うことはないかもしれない、とさえ思います。

 

 カウンセリングを受け続け、徐々に洗脳が解けていき、親の自分に対する、いろいろな言動に違和感が芽生えていきました。

 

 私の家族は、機能不全家族であり、家庭内の闇と真実が、少しずつ見えてくるようになりました。そんな中で私が気づいた事のひとつに「親を神格化していた」ということがあったのです。

 

 親を盲目的に、神のように崇めていたんです。これは親に限らず、人に対して、そう思うことは、とても危険です。どんな人間にも、光があり、闇があるように、どちらも冷静に見えている状態が、ニュートラルな視点です。

 

 人間には相性もあるし、好き嫌いの好みもあります。一見、神のように見える人さえも、必ず欠点も併せ持っているのです。

 

 親から愛情を一身に、過剰なほどたくさんもらっていたと思っていたけれど、それは毒であり、その毒がどんどん蓄積されて、苦しんでいたのです。もらっていると思っていた愛情は、厳しい条件付きの不健全なもので、私の心の中は、空洞だったことを知ったのです。

 

 自分の親を神格化している人は、どうか一度、よく自分自身の心を振り返り、家族との関係性、親の幼少期がどうだったか、私の親ってどんな親かなと、冷静な目で見つめ直してください。

 

 学生ならば、親と上手くいっている家庭、自己肯定感が高くて、自由でのびのびと楽しく生きている人が、親とどんな関係性か、比較してみるのも、参考になるかもしれません。

 

 自分の家庭が、どうなのか判断がつかなくても、自分の心と身体の様子に注視しましょう。同じ家に住んでいる人には、多大なる影響を受けながら、誰もが生活しています。

 

 一緒にいて、好ましい影響を受けていると感じるか、逆に胸が苦しくて、重たい、苦しい感じがするのか。自由を感じるか、それとも制限を多く感じるか。あなただけの心と身体は、とても正直です。

 

 洗脳されていても、心の奥底には、あなたの小さな叫びがあるはずです。

 

 親に限らず、人と良好な関係が築けるのは、お互いが「対等」である時です。横のつながりです。上下関係は、不健全です。夫婦でもそうです。

 

 私は、血が繋がっていても、自分が死ぬほど追い詰められるような関係ならば、むしろ、里親など、良心的で尊重、個の尊厳を大切にする、適切な距離感で接してくれる人といる方が、遥かに大切だと感じています。

 

 人格形成をしていく上で、一緒に暮らす人はとても重要です。親であっても、一緒にいるのに値するのか、離れるべき相手なのか、見極めることが大切です。

 

 親との距離感については、また後述したいと思います。