「なんでも聞きなさい。私が一番よく知っている。わかっている。」
「私に聞けば、間違いない」
私の両親から出る口癖の中で 一番多い言葉でした
一見すると とても子ども思いな 愛情深い親のような発言に受け取れます
でも もう一度 じっくりゆっくり感じてみてください
これを言われたら どんな気分になるか
この言葉は 子どもの心を打ちのめす ナイフの言葉です
無意識のメッセージは、
「親がいつ何時も正しい。お前(=子)は間違える。尊重に値しない」です
兄が長年 「優等生」の役を演じるのが辛すぎて 根を上げ始めた頃から
「私の言う通りにしないから、失敗するのよ!」「親に迷惑ばかりかけて」
「親に感謝の気持ちもない」「こんなにお金がかかってるのに!」
こんな言葉を 娘の前でだけ 繰り返し 何度も何度も 言い続けました
父は無言でした 息子を否定こそしませんでしたが
肯定もしていない(放置?)様子に受け取れました(あくまで推測です)
私は ある時 反論したことがありました
「子は、親の敷いたレールを歩くだけが人生じゃないの!」
「自分で考えた道を歩くべきよ」
※親の言う通りにしていた私が、当時、こんなことをよく言ったものだと、今では感心しますが…
(この言葉を、自分に置き換えて考えられたら良かったのですが、兄の一件以来、母の豹変ぶりに、私は、「親を困らせると大変なことになる。親を悲しませてはならない。」という信念を追加し、さらに私の環境は、過酷なものになってしまいました。)
私の説得など まったく聞く耳を持っていませんでした
当時 父も一緒になって 言ってくれたように記憶しています
母の思い込みの強さには 父もほとほと呆れていたようです
母になんでも任せきりだと ここぞという時に
父親というものは 説得力がないのかもしれません
母も 完璧主義が災いして 辛い時に「つらい」と言えない性分でした
だからこそ 本音を呟けるのは 同性の娘だけだったのでしょう
母の辛さは 熟知していました
だからこそ 私は 母の思う通りに生きました(母と同じ自己犠牲をしました)
母なりに 家族を保とうとしていた その努力は理解していました
(そんな不器用な母に 感謝の気持ちは 今でもいつも持っています)
健全な夫婦であれば 子に寄りかからず お互いに労わり 支え合い 励まし
話し合い 問題を解決し 乗り越えるべき関係性のはず
更年期が酷かった母 兄の大学に行けなくなった事件が引き金になり
生理も止まってしまった母
それでも 家族の為 子の学費を稼ぐため パートにも出ていた母
仕事から家に帰る途中 沢山の食材を積み 泣きながら 重たいバイクを運転し
いつも家に帰ってきていたようです
その時だけが 自分の辛い気持ちを吐露できる時間だったのでしょう
自己犠牲することでしか 家庭を築けなかった母
辛かっただろうと思います
父は 女性の心の機微に敏感に反応し 共感し
優しい言葉をかけることが とても苦手でした
気恥ずかしくもあり どう接して良いのか その術を知らなかったのでしょう
だからといって 兄が悪いわけでもありません
兄も 精一杯 頑張っていたのです
二十四時間 三百六十五日 身体も心も極限まで緊張させながら
血を吐く思いで 自殺願望を抱えながら 十数年も「優等生」を演じたのです
自分の心を殺し続けてでも 親の期待に 応え続けたのです
子だけの思い 人格を理解し
尊重することが皆無だから(子が生まれた時からずっと)
いつも こうあってほしいという 度数の分厚い色眼鏡で
親である自分と子を 同一化して見ているから
全く 気づくことができないのです
もしも 母や父に被害者意識がなかったならば
自分の思い込みだけに囚われずに
親と子を切り離して 別人格の人間として認める心があり
少しでも 客観的に自分を振り返れたら
「私の息子は、何に苦しんでいるのか?」という素朴な疑問に
たどり着けたかもしれないわけです
「私ばっかり、こんなに苦労している。こんなにしてやっているのに」
この思いに囚われて 目の前でいつも訴えかけている
物事の本質に気づけなかった
「私が一番正しい」それは 本当でしょうか?
子の幸せは 子にしかわからないことです
親の願望や価値観 過度な期待をどんどん膨らませて
子に擦り付けても 子は苦しむばかりです
なぜ 息子は 優等生役を演じ続けたか?
なぜ 娘は 母の言う通りの人生を40年も生きたのか?
…本当は 子の人格を 子の心を ありのままに受け止め尊重し 優しく見守り
励まし 子の存在を 無条件に肯定する 健全な愛情を与えてほしかった
でも 現実は 条件付きの愛情や役割だったから
その条件をクリアする為に 頑張り続けたのです
でも いつかは 力尽きてしまう 根をあげてしまう だって人間だから
兄も私も 心の中は ずっと空洞だったのです
私は 「優等生役」以外にも 複数の役割を持っていました
「母を励まし、喜ばせる世話役」「家庭内の感情のゴミ箱役」
「家庭の問題を解決するヒーロー(仲介・調整)役」
時には「意見を言わない 存在を消す いないフリの役」
いくつもの役割をしながら 下僕状態を強いられるのは つらかった
兄とは違って私は 根を上げることさえできないほど 深い深い洗脳状態の中で
自分の精神を 極限まで 崩壊し続けていて
精神的な死を迎える寸前までいきました
見た目には 普通に生きているようにしか見えませんが…
私も ひとりの人間です 母とは違う人格を持った 人間なのです
生きていく上で欠かせない 根本的な親からの愛情を得たかったのは 子どもの方
親から得られなかった愛情不足は 子のせいではない
得られなかった愛情は 子を道具にして その場しのぎすることではなく
つらくとも 見たくなかった本当の 内面の自分と 真正面から向き合い
自分の意思と手で 埋めて 癒していくしかないのです
依存は 自分への信頼 尊重 力を全放棄すること
人に頼り その場しのぎの心の渇きを 紛らわす事しかできず
もらっても もらっても すぐに枯渇する
だから もっともっと 人からもらおうと 期待と要求がエスカレートする
依存する側も される側も 底なし沼に落ちていく 無力化する関係性なのです