明るくポジティブな所に焦点を当てたいけれど、心模様がどうしてもネガティブに向かうので、抗うのをやめ、その方向に素直に従ってみることにしました。

 

 6月に入ってから、嫌な出来事をきっかけに、過去の傷が再び、激しく血を吹いている昨今です。前なら抑圧していたけれど、それを辞めて、逆にとことん向き合ってみることにしました。私の心模様ですので、興味のない方はスルーしてください。

 

 回復の道に入っても、傷の深さをありありと痛感し、ありのままの本来の自分へと向かう道は、「3歩進んで2歩下がる」365歩のマーチのようです。でも、一歩は進んでいるのだから、良しとします。

 

 母と過ごした日々が、走馬灯のように流れるのですが、母娘共依存、両親過干渉、機能不全家族という、我が家の深い闇に包まれた黒い真実を知ってから、改めて感じることがあります。

 

 幼少期から、子どもらしくいることが叶わなかった現実の中で、自分が辛かったと感じた気持ちに蓋をすることで、なんとか生きていましたが、今、冷静に振り返ると、とっても辛かったなと、その感情が改めて蘇るのです。その感情達は、しっかりと感じてほしかったのだと思います。

 

 「私たち感情を無視しないで。私たちもあなたの心の中の大切な一部分だよ。」と、当時の感情達が私に訴えかけるのです。

 

 母が発した言葉は、当時は、全面的服従状態で、真正面から受け止めるしかなかったけれど、(本当は、頭の中に「入れない」という選択肢もあるのですが、自己肯定感も自尊心もズタズタで、母からの境界侵入が日常茶飯事の当時は、自分の心の防御をすることは当然できませんでした。今でもまだ、その癖は自覚はしていますが、しっかりと残っています。)

 

 「女の子は、愛想良くしないと損するよ。」「すぐ顔に表情を出す。にこにこしていなさい。」「なんでいつもそんなに無気力なの?元気がないの?なぜ覇気がないの?」等々、もう数えきれないほどありますが、その中でも、ベスト3に入るなと思う言葉が、上記タイトルの「たいしたことない」でした。(ちなみに父もよく言った言葉でした。まさにダブルパンチです)

 

 「たいしたことないのに、すぐ涙をこぼす。」「たいしたことないことに、すぐ腹を立てる。」「たいしたことないよ!」

…この言葉が、私の心には聞く度に、私の全てを否定される、ナイフの言葉として、毎回、心から血が噴き出ていました。

 

 「私にとっては、どうでもいいことではないの…。本当に悲しいの。悲しすぎて腹が立つの…」いつも、この思いを発することなく飲み込んでいました。

 

 子どもも含めて人が怒る時というのは、深い、幾層にも重なった悲しい出来事が積み重なって、容量オーバーになった時です。

 

 そのひとつの出来事が、例え、たいしたことない位、小さいものであっても、もう悲しい気持ちが一杯に積み重なったから、激しい怒りへと変わるのです。

 

 怒ることは、幼く、醜い行為だと世間の常識では当時ありましたが、(今でもそう思っている人はまだ沢山いますね。)

私は、そうは思いません。怒るその人は、本当にたくさんの抱えきれない、「深い悲しみ」を抱えた人です。

 

 そういう目線で、人を見つめられる人が増えたら、世の中は今よりももっと、優しい世界へと変わるのではないでしょうか?

 

 自分の感じる感情を否定される。これは子どもにとって、耐えがたい痛みです。(例え親子といえども、感じ方は違うのです。別個の人間なのですから。)存在自体を否定される、激しい心の痛みです。目には見えないけれど、母も父も幼少期に、その痛みを数えきれないほど体験したのです。それなのに、親になったら、今度はまた無意識に、子に同じ耐えがたい心の痛みを与えてしまうのです。

 

 悲しい世代間連鎖ですね。誰かがどこかで、自分の心の手当てを始めなければ、同じことを子に受け継いでしまいます。親であるあなたも、親でないあなたも、自分の心の傷の手当てを始めてほしい、そう思います。

 

 そして、これは余談ですが、カウンセラーさんから言われて、あーそうなんだって納得した言葉がありました。

 

 「あなたが日頃笑顔でないのが、当たり前になっているのは、お母さんがあなたの前で、笑顔でなかったからです。」と。

 

 母は外では、穏やかで優しい笑顔をいつも浮かべていました。でもその笑顔は、娘である私の前では、私が何か母の喜ぶことをしてあげた時だけでした…。

 

 母も不幸な機能不全家族で育った、可哀想な人です。でも、そこで自分を救おうとせず、自分の力を全放棄して、娘に依存するという選択を、彼女はしたのです。

 

 父は、母の愛を得たい一心で、母の言いなりになり、わが子を、依存症の母に明け渡し、子を自立させずに、母の鳥かごに居続けるようにお手伝いをした人です。

 

 健全な父の役割を持っていたならば、思春期になり、子が親から自立しようとする時、母子がくっついていたら、分離させるようにするのだそうです。そうできる勇敢で聡明な父親が、果たしてこの世にどの位いるのでしょうか?

 

 親が親としての健全な役割を果たす。それは、ただ単に、物質的に豊かでいさせること(衣食住を与えること)だけで完了するものではありません。

 

 情緒的に、健全な父として、健全な母としての役割をすることができていますか?ということです。(ある意味、こちらの方が遥かに大切なことなのです。)

その役割は何なのか、具体的に知る人が、世の中にどれだけいるでしょうか?

 

 こういうことを、学校で教育として教えてほしいなと思うのです。感情との向き合い方、ストレスの発散の仕方、自己肯定感の育み方、自尊心を持つということ、人と自分との違いを個性として認め合い、尊重し合うということ、ありのままの自然体として健全に生きていく方法、自分の意見を持てる大人になる為に、「あなたはどう思う?どう感じている?」その問いかけが、各家庭、学校、地域、社会、国に浸透していくことを願います。