ほどほどが許されない、厳格で、完璧な秩序の元で、

 

 混乱した、不安定な不遇な家庭環境の中で

 

 兄とだけは、お互いに安らぎと笑いの存在だった

 

 今、思えば、それは、兄妹間でだけは、素の自分でいられたから

 

 共に笑い合い、支え合い、励まし合い、喜び、尊重し合い

 

 一緒にいる瞬間だけは、何にもジャッジされない、自由な存在に戻れたから

 

 私は40年、自分が苦しんでいることさえ知らずに、

 

 異常な家庭環境であることなんて、寸分も疑わずに

 

 死んだように生きていた

 

 一方、兄は10代後半から顕著に、その環境下での悪影響が出始めた

 

 耐えられなくなってしまったのだ

 

 両親にとって、理想の虚像を演じ続けることを…

 

 洗脳されていた私は、大学に行けなくなった兄に対して、最初は

 

 「こんなに親を苦しめ、迷惑をかけるなんて」と悔しく思った

 

 でも、それは、私の本当の想いではなかった

 

 なぜなら、四六時中、母から、その言葉を聞かされていたから

 

 まだ、我が家に隠された黒い真実を知る、20年余り前のこと

 

 当時を振り返ると、今でも鮮明に泣けてくる

 

 母の、兄に対する批判や愚痴を聞く度に、私の心が号泣し

 

 血の涙を全身から流していたことを

 

 兄は、紆余曲折を経た後、家を一旦離れるなどの変化があり、

 

 母の、子の人生を思い通りにしようとする姿勢をかわし始めた

 

 自分で決める 親へは事後報告する、など、静かに、密かに、

 

 そして時には、激しい言葉で、反抗し始めた

 

 それに伴って、母の、私への執着心は、ますます酷くなっていった

 

 「あなたさえ、いればいい。」

 

 「あなただけは、理想の娘だ。」

 

 私を励まし、労わり、神のように崇める、カウンセラーのような存在だと

 

 一見すると、とても愛情深い親のように感じられる

 

 でも、実際は、私を感情のゴミ箱役に抜擢し

 

 私によって、自分では埋められない、満たされない思いを満たす

 

 エネルギー供給源だったのだ

 

 私は、エネルギーを吸い取られ続けて、どんどん疲弊し、

 

 精神的に死にかけているとも知らずに

 

 母に、全エネルギーを供給し続けた

 

 その異常な場所から抜け出した今も、母の執着心は変わらない

 

 でも、その同じ場所にいる、兄には

 

 親のことで苦しんだ分、今まで以上に幸せになってほしい

 

 私を罵倒しようが、憎もうが、恨もうが、お好きにどうぞ

 

 もう、私は、「理解してもらう」ということを

 

 あの家庭には期待していない

 

 ただ、兄には、嫌なことが気にならない位、

 

 「生きていてよかった」と思える人生を歩んでほしい

 

 ただ、それだけを願っています

 

 今まで、ありがとう

 

 最後に送られた、私への言葉が、

 

 私を批判する、脅すような罵声で締めくくられたことは

 

 とても悲しく思います

 

 心が張り裂け、深いナイフでえぐられ、血を流した、心の傷を

 

 そっと抱きしめて、それでも、私も前を向いて生きていく

 

 不遇な家庭環境を共に生きた、あなたにだけは 私をわかってほしかったです

 

 少なくとも、両親と違って、あなたは、我が家の黒い真実を知っていたのだから

 

 でも、幸い、私には全てを包み、理解してくれている夫がいる

 

 だから、もう泣かないよ