「日本の8割は、機能不全家族である」そう語ったのは、アダルトチルドレン関連の本で、一躍有名になった、故・西尾和美さんの言葉だ。臨床心理学博士、カリフォルニア州認定心理学者でもあり、精神療法家として、アメリカで活躍した彼女だが、時々、日本にも帰国して、クライアントだけでなく、アダルトチルドレンの治療に携わる、医師や看護師などの医療関係者にも精力的に指導をした人である。

 

 機能不全家族というのは、「子どもが安心していられない家庭」であれば、機能不全に該当するのだという。安心していられないのは、身体的な場合であっても、心理的な面だけであっても、またその両方を含むことまで考えると、8割になるのもうなずける気がする。

 

 幼少期の家庭環境が、その人の人生の基盤をつくる。その最初の基盤が不健全なものであれば、その人自身がどこかの時点で、克服しない限り、世代間の連鎖が継続されてしまう。

 

 どれほど子ども時代から現在に至るまで苦しくても、克服せず、そのまま親になると、まさに自分の親と同じことを繰り返してしまう。そこに疑問を抱いて、自分を振り返れるか否かで、世代間の連鎖を、食い止められるかどうかが決まると思う。

 

 「世代間の連鎖」というと、なんだかとても大げさな表現のようにも取れるかもしれないが、代々、親が離婚をする家系、自殺や早期の病死などが多い家系、DVなどの暴力、アルコール依存症などの各種依存症を繰り返す家系など、私の家系って、こうなる人が多いよね、と思うものは、パターン化されていて、連鎖している証拠だ。

 

 ひとりひとりが、健全な個として、自分をありのままに生きていないと、子にも受け継がれる。根本的な所を、誰もが振り返り、軌道修正する時代に差し掛かっているように思う。

 

 自分の人生を振り返りながら改めて思う。「血のつながりとは何か?」と。血を分けた、特別な関係の親子。その、特別なはずの血のつながりが、時として、毒親に象徴されるように、乱用され、パワーバランスの関係となり、苦しみの源になってしまっているという事実。

 

 子どもを大切に大事に育てた。そう思い込んでしてきた親の子育て。しかし、それが根本的に間違っていて、親の愛情という名義の元に、しかし、実際には、子に対する呪いとなり、血のつながりが利用されている。そう思う場面にも遭遇してきた。

 

 苦しめようと思ってしているのではないケースも多々あると思う。しかし、本質をしっかりと見極めないと、悪気がないでは済まされない。「悪気がない」その言葉が、実は一番罪深いと私は思っている。悪気がなければ、何をしてもいいのか?と感じる。

 

 親であっても、子であっても、まずは自分が、ありのままに自由に自然体に人生を健全に生きる。それが、浸透してくれば、おのずと、今向き合っている問題も、その本質が見えてくる。

 

 子の不登校が今は、すごく多いようだ。それは、その出来事を通して、「子」に焦点を当てるのではなくて、自分自身に焦点を当て、誰もが見つめ直す機会を与えられている。私はそう思う。

 

 私には、子どもはいない。潜在的に子どもは大好きである。小さいから、とかそういうことではなく、大人と変わらない、ひとりの人間として対等な立場で好きなのである。しかし、子育てに対する異常なほどの恐怖心があった。自分でもなぜこんなにも、恐怖心が出るのか、長年分からなかった。

 

 その謎が、ここ数年で解けてきた。「親のように、自己犠牲に満ちた苦しい子育てをしなければならない。そんな子育てはできない」その思いが、無意識にしっかりと私の心に植えつけられていて、それが呪縛となっていたようだ。

 

 そういえば、母に面と向かって、「今度生まれ変わるなら、私は、子どもは絶対に産まない。キャリアウーマンになるわ」と言われたことがあった。

 

 母は、何でも腹を割って話ができると、私に対して信頼、愛情、仲良しのつもりで言ったのだろうが、私はこの言葉にも衝撃を受けた。子どもを産んだこと、後悔しているのだな…と。結婚してからも、「子どもはやめておきなさい。苦労するよ」と何度も言われた…。

 

 そのうち、「私は、子どもは嫌いだから産まない」と周囲に言うようになっていたが、それは、これが原因だったのだ。そして、その呪いの言葉を守るために、私は子どもは嫌いだと思い込むようになったのだと気づいた。

 

 今なら、子どもに言うのは、絶対NGでしょ!と反論するだろう。そもそも、子どもを持つかどうかは、母が判断することではなく、私自身が自由に決めていいことなのだから。母の意向に従う必要はないのだ。

 

 

 話が横道に逸れるが、私は大学生頃から、PMS(月経前症候群)が酷かった。それを本で、なぜなのか知った。本にはこう書いてあった。

 

 ー女性性を受け入れていない。特に思春期以降、女性としての自分のモデルになってきた母親を受け入れていませんー

 

 この言葉にぎょっとした。無意識の私は、やはり母を拒絶していたのだと改めて知った事実だった。

 

 本からのアドバイスは、

 

「あなたは、小さい時に、女性であることに関して何らかの決意をしましたが、その決意は現実に基づいていません。女性をそんなふうに見ることは、あなたにとって有害であり、あなたの幸福を損ないます。女性についての思い込みが原因で、あなたはしばしば感情的になり、そのためにあなたの心の平和がいっそう乱されます。あなたは望むことをしていいのです」

 

こんなに影響があるのだと愕然とした。リズ・ブルボー著「自分を愛して!」-病気と不調があなたに伝える<からだ>からのメッセージーより一部抜粋。

 

 ほかにも、ルイーズ・ヘイ著「ライフヒーリング」も、心と病気の関係が書かれている良書である。

 

 今は楽しく子育てしている人を見るのが好きだ。あんな風に楽しくできる人もいるのだと思うと、嬉しくなるし、見方が変わってきた。母がベースだったけれど、そのベースは書き換えることができる。 

 

 最近ふと、女性であることっていいな、素晴らしいなと思えるようにもなってきた。自分の中の分離していた部分が、統合されて、エネルギーが満ちてきているような感覚を感じる。こういう感覚が少しずつ、増えていくのだろう。

 

 これからは、血が繋がっているかどうかよりも、どれだけ心が通い合っているか、信頼や愛情、尊重と調和に満ちた関係であるかに重きが置かれていくように思う。