自分の心が苦しくてたまらない。そんな人は、誰か、自分の心の内を安心して話すことが出来る人、もしくは場所を見つけると良いと思います。原因がわからなくて、いいんです。どんなに些細なことでもいいんです。日頃、誰にも言うことなく秘めている、その心情を、「言葉にして出す」ということが大事だと思います。
誰も見つからない時は、ノートに書き出すのもいいです。ノートに何の制限もなく、(暴言になっても構いません)自分の思いを紙に書き出すと、心の中に正体不明で渦巻いていたものが、少しずつ客観的に見えてきます。
ノートに書く、ということは、頭の中の状態を紙に書き出して、明らかに見る、ということに繋がるからです。
話せる場合は、家族以外の第三者で、あることが大切です。家族だと、客観的になりません。主観的になりがちです。公平な目で見てくれる人、そして、どんな時もあなたの味方である、どんな思いも安心して(否定されることなく)吐露できる、ということが条件です。
そんな人を見つけるポイントは、思考ではなく、五感を使うことです。その人の文章にも波動は宿りますが、文章よりももっと明確に瞬時にわかるのが、その人の「声」「話し方」「表情」「雰囲気」に注目することです。
ネットだと直接会うことが難しいですが、その人の動画を見てみる、とか。実際にお試しで話すことが出来るなら、それが一番いいです。自分にとって合う人というのは、「なんだか心地よい」「なんでだか安心できる」「素敵な人」「憧れる」無条件にそう感じるからです。人として尊敬できる、と無意識に思える人が、あなたに合う人です。
経歴や顧客数などには、あまり惑わされないようにしてください。経験や数に重きを置くと、大切な点が抜け落ちます。それよりも自分にとっての、オンリーワンの人を見つけることを、私は重視します。
話が前後しますが、「言葉に出す」「話す」という行為は、「放す」に繋がるからです。心に抑圧された、沢山の感情達の出口を、まずつくってあげることが、最初のステップです。
パンパンになった感情や思い達を、頭の外に出してあげる。そうすると、少しずつ頭の中が軽くなり、新しい気づきや、新しい方向性が入ってくる余地が生まれます。
共依存かどうかは、話すうちに後からわかってくることも多いと思います。私はそのタイプでした。納得できなくて全然いいです。とりあえず、抑圧した思いや感情を出し続けるのです。そうすると、しっかりと腑に落ちる時期もやってきます。
例えば、母娘共依存の人は、「お母さん、大好き」と思っていていいのです。私もずっと、その思いは変わりません。「お母さんは悪くない」と今のあなたが、そう思うのであれば、その思いを持ったままでもいいです。抑圧した感情を解放し続けることが大事です。
心に蓄積したものを出していく作業を、地道にやっていき、癒しが進み、自分を取り戻していくと、どこかの時点で、(私は数年後でしたが…)どんなに巧妙に、威圧的に、強制的に服従させられていた状態でも、最終的には、「自分で選択していた」と思える時がやってきます。
そう思える時、「あ~そうか。違う選択も確かにあったんだ」と改めて腑に落ちるはずです。「させられている」と思っている時は、それ以外の選択肢が全くないように感じます。でも本当は、その状態を拒否し、回避する方法もあるんだけど、自分自身にそれを認めていないのです。「許可」が下りてない感じです。
私は、カウンセリングを受けながら、結婚によって、物理的な距離は、親との間にできていたものの、距離を置くだけでは、共依存からは抜け出せません。感情の開放をしながら、精神的な呪縛をひとつひとつ解いていく作業も入ります。カウンセラーさんは、その点も考慮しながら行っていきます。
私にとって一番厄介だったのは、「被害者意識」、「0か100か思考」、「支配(コントロール)」です。思考癖は、何十年と無意識に染みついているので、外すことが簡単ではありません。
今でも、出てきます。出てくるけれど、早い時は出てきた時点で、または後から気づく、その繰り返しです。被害者意識になる時があっても、そんな自分を責めません。ここが一番大切だなと思う点です。
一生懸命に、機能不全家族の元で生きてきた人の忍耐力は、半端ではありません。とても強靭です。
自分の心にずっと精神的虐待をしてきたので、自分を楽な状態に持っていく基準がずっと高く、すごく厳しいのです。そこを少しずつ、少しずつ緩めてあげるのです。少しずつでいいです。一気にはできません。
私は、共依存中ほとんどできなかった旅を、これからは沢山の場所を旅していきたいと思っているので、足腰を鍛える為、体力をつける意味も込めて、お散歩をしています。単純に気分転換の為でもあります。
でも、理想を高く掲げる癖があるので、身体がきつい日でも、駅でエレベーターではなく、階段を無理して使ったことに、後から気づいて、帰り道は、エレベーターを使って、自分の身体に寄り添いました。
お散歩も、基本的に「毎日する」と決めているのですが、その目標に執着していると、できない日の自分に腹が立ってしまうので(今でも時々、そういう思考癖に陥りますが…)
毎日できない私は、目標を達成できないと、投げ出したくなるので、できない日があっても、それでいいんだと思うようにしています。散歩しなかった日でも、今日を楽しくするには何をしようか?と発想を転換する工夫をしています。
そんな些細なことですが、些細なことから癖づけすると、少しずつ、自分により優しく甘くできるようになり、自分の機嫌が取れるようになると思います。まだまだ、私も訓練中です。
共依存の人は、基本的に、あまり生産的ではない、効率的ではないものに対して、「ただ楽しむ」という経験をしてきていないので、結果ではなく、過程を楽しむ、という思考の転換をすると、とても心が豊かに、そして生きている実感を味わえるようになってきます。最初は感じられなくて当たり前です。「ただ楽しむ」ということが、許されない環境に生きたのだから。
そんなあなた自身に、「今まで、よく頑張ってきたね。えらいね。これからは、私が一番あなたに優しくしてあげるからね」とどうぞ、言ってあげてください。たくさん、労ってください。
私も時々、気づけば「何やってるの~!?」と自分に厳しくなる時がありますが、「訂正します。あなたはいつもよくやっています。ありがとう」と心の中の私に問いかけ直します。
あなたも、「昨日よりも自分に優しく」それを、頭の片隅に置いてみませんか?