共依存中、母に生活の全てを把握され、支配されていた私。柔らかな誘導尋問による、私への生活チェックに、真面目に正直に全て包み隠さず、報告する私。

 

 今では、「ありえない!」と笑い飛ばせるほど、冷静に事実を見つめられるようになりましたが、当時は、その異常さに全く気づきませんでした。それが、洗脳の一番恐ろしいところでしょう。

 

 それでも、「感情」や「身体」だけは、真実を密かに教えてくれていました。なぜだか、理由はわからないけれど、私はいつも、窒息しそうな息苦しさを感じていたのです。

 

 どうして、いつも、こんなに、のどや胸が詰まったような感じがするのか。倦怠感がつきまとい、心も身体も重く怠く、力が湧いてこない。でも、全てストレスだろうと思っていました。学校や職場が、自分にとって居心地の良い場所ではありませんでしたから、それが原因なんだろう、と思ってました。

 

 家族とは極めて良好だから、家族といる時が一番、私の心が安らげる場所だと錯覚していました。今、よくよく考えれば、家にいる時に、安心した安らぎを感じていたかと、問われれば、答えは、明らかにNO!でした。何にもやる気が起こらない。無気力状態でした。まるでゾンビのようでした。

 

 今は、無気力になっていたのが、どうしてか、理由がわかります。それは、自分の人生の舵取りは母にあり、私は、抜け殻のように、言うがまま、されるがままにしていたからです。

 

 自分の意思だけで導き出した言葉や行動を、全く自分に許しておらず、自分の本当の気持ちを、深く深く心の海の底に沈め続けていたから、いつも、生きるエネルギーは電池切れ寸前の状態でした。

 

 エネルギー的な観点から見ると、私の生命エネルギーが、母に流れている、吸い取られていたようなものです。

 

 私が母を気遣い、喜ばせ、世話をする。母の機嫌を取る時だけ、母は私に関心を持ち、喜ぶ。私と接している時の母は、喜々として、活力に満ちていました。私の生活の全ては母の手中にある状態でした。

 

 冒頭でも述べましたが、成長して大きくなっても、母に全てを報告する、ということは、全ての私の状態を、母が常に把握し続ける、ということです。

 

 ちょっとでも、連絡が遅れたりすると、異常なまでに催促のメールが来るし、ちょっと電話に出れない状態が続くと、極度の心配性の母は、すぐに不安になり、「私がどうにかなったかもしれない」と、急いで駆けつけてくる勢いです。私の心の自由度は0%でした。

 

 高校生くらいまで、買い物も一緒に行っていましたが、ある時から、母と買い物をすると、口論するようになりました。洋服を見たいペースも違うから、だんだん一緒に歩く位置がずれてくるのです。

 

 その当時は、今ほどはっきりと理由がわからず、なぜかわからないけれど、買い物に行けば、口論になり不快…。それが重なって、遂に、ひとりで買い物には行く、と言いました。

 

 買い物は一人でできるようになったけれど、買ってきたら、どんな服買ってきたか、見せてと言われ、何も言わず、見せる私。すると「これはいいね。似合う。」「これは、まぁまぁかな。」とか、批評が入ります。

 

 当時は、やれやれという程度にしか思っていませんでしたが、今だったら、「鬱陶しい」とか「構わないで!」という言葉を吐くでしょう…。今なら絶対見せません。

 

 一人暮らしも何度も諦めた後、やっと念願叶ってできた時も、「家具を揃えなくちゃ!○日に行くわよ。」と日付まで決められる。そして、何がなんでも、決めたら、母のペースの元、買うと決めたその日に買いそろえなくてはいけない。

 

 次は、これと、あれもあるから、とせかされつつ、選んでも、こっちがいいと言われれば、そっちに決めることになるので、買い物というものが、全く好きではなく、めんどくさい、早く終わってほしい位にしか思えませんでした。

 

 マンションに揃った家具やカーテンなど、母のエピソードが絡んでいないものは、ほとんどない感じでした。

 

 高校生の時、「浴衣」が欲しくて、一緒に買いに行きました。なかなか決めることが出来ず、母も半ばうんざりしている様子。「なんで、そんなに決まらないの?」とか言われたような気がします…。

 

 休憩に立ち寄った喫茶店で、むっつりとしている私に、「せっかく浴衣を買ってあげようとついて回ってあげているのに、その仏頂面は何なの?」と、逆ギレされたことを今でも覚えています。

 

 当時の私は、(決断力のない私がいけないんだ…。でも今日、絶対買わなくてもいいのでは?…)とも、少し思いました。

 

 なぜ、私は、いつも不機嫌になるのか。どうして、いつも全て投げ出したくなり、どうでもよくなるのか、わかりませんでした。

 

 今なら、はっきりとわかります。いつもいつも、べったりとくっつかれて、常に母の基準に合わせなきゃならなくて、本当の私が、窒息するほど、悲鳴をあげ、苦しかったからです。

 

 洗脳を抜けた今、本当の私に戻りつつある私は、決断力のない人ではありませんでした。むしろ、通常の人よりかなり早い、即決型、直感型の人間だったのです…。