私の半生は、「塔の上のラプンツェル」だったと書いた。より正確に言えば、私の母は、ゴーテルのように怖い感じではない。ディズニー映画に登場する悪役の人物は、見た目からどこかしら、そのような雰囲気が見え隠れする。しかし、私の母は、ラプンツェルの産みの母、王妃様のような感じであり、傍から見れば、料理上手、綺麗好き、若々しくて、子どもを大切に思い、しっかりと家庭を守る理想的な母親像だと思う。

 

 母は、親から大切にされなかった。三姉弟の長女として生まれ、小さい頃から、下の姉弟の面倒を見るように言われ、小学生位なのに、山を越えた川に一人で洗濯や、また夕食の買い出しに行かされたり、夕飯を作ったりと、母の代理のような役割を強いられた。本来の母は、明るく朗らかで、とてもポジティブなあっけらかんとした性格なのだろうと思う。まだ姉弟が生まれていない2、3歳頃、父(私の祖父)の職場で、歌いながら踊ったりして周りを和ませる子どもだったらしい。その母が、親から愛情をもらえずに育った。その事実は、母の人格に暗く大きな心の闇をもたらした。

 

 母は、私を産むことは気が進まなかったらしい。ひどい悪阻に臨月近くまで苦しめられ、妊娠中毒症にもなりかけた時期があった。父から「今度は女の子らしいから頑張って」と言われた時、「この人は、私より子どもが大事なのだわ」と悲しくなったらしい。でも産まれてきた私に「私は、子どもに辛い思いをさせない。友達のように何でも話し合える母娘になろう。」と、そう決意したそうだ。その決意が、結果的に子を苦しめることになるとは思ってもいなかった。

 

 周りからは、母はとても自立した大人の女性に見えた。しかし、幼少期に得られなかった愛情は、ずっと消えることはない。消えないどころか、その人の人生に大きな悪影響を及ぼす。心の奥底に抱えた大きな悲しみは出口を求めて、サインを送り続ける。子どもが産まれたことによって、母はとても大きな生きがいを感じた。血のつながった、自分と分身のように感じるわが子。このわが子に夢中になることが、母の大きな悲しみを紛らわせる生きがいになっていった。

 

 子どもに尽くすことで、自分の存在意義を感じられる。また、大きくて深い自己否定感を見なくて済むようにもなる。母は自立していたのではなく、自立している大人のように振る舞っていただけで、本当は、埋められない心の空虚感や無価値観、心の枯渇を埋めてくれる何かを探し求めていたのだろう。わが子は自分と重なり、何でも分かってくれる分身、そして成長とともに私(=母)を喜ばせてくれる存在で、なくてはならない存在になっていった。無意識は、得られなかった愛情を他から補填しようとする習性がある。

 

 親が大好きな子どもにとって、親の望んでいることは手に取るように肌で、空気で感じる。兄も私も物心つく前から、その要望に応えていた。その親の喜びが、子どもをどんどん苦しい状況へと導いていることを知らずに。

 

 子が、親の思い通りに動いてくれているうちは、心を乱すことがないので、優しい母のままでいられる。しかし、兄の大学の一件以来、母はまず、兄に対して、陰で辛辣な言動を私にだけ見せるようになる。そして、私が40年という長い時を経て、その状態から抜け出そうとし始めた時から、母の言動は徐々に変わり始めた。私の意思や思いなどはまったく意に介さず、自分の要求を貫こうとする母の初めての姿を目の当たりにした。とても辛いことだった。兄だけでなく私のことも、一人の人間として全く尊重してくれることのない母の姿を見て、これまでもそうだったことがよりはっきりしたからだ。

 

 そのような姿を私以外に、私以上に見た人は周りにはいない。兄でさえも、そのような母の姿を知ってはいないだろう。母に対して生まれて初めて、長年の怒りと悲しみをこらえ切れずに意思を表明する私に兄は、年老いた親にする態度ではない、と私を非難した。同じ環境を生きた同志の兄が、そんな風にしか捉えられないなんて…その方がよりショックだった。燃え尽き症候群を経て大学に行けなくなった時点が、兄の限界点だったように、私にとって、洗脳を解き始めてから、この正月に至るまでの数年の出来事は、40年耐え続けた末の最大の限界点だった。

 

 

 結局は母と私の間にあるものは、当事者しか知りえないという事実を知った出来事だった。被害者意識の母が、周りに「娘がこんなことをした」と言えば、周りは親戚も含めみんな母の味方だ。でも、私にしか知りえない苦しみがあるのだ。本人に、その思いを確かめることもなく、片方だけの意見だけ、その時の切り取った状況だけで判断するなんて…私の人格や思いは全く無視された家族なのだったとはっきりと認識した出来事だった。

 

 私の真の思いを知り、客観的に受け止めて理解を示してくれたのは、血を分けた家族や親戚ではなく、最愛の夫とカウンセラーだけだった。血がつながっていなくても、私を本当に理解してくれる僅かな存在が、私に生きる希望を与えてくれていた。

 

 当時、私の味方はたったふたりだけ。でもそのふたりの存在が、私にとってどれほど大きくて力強くて頼りになる存在だったか言葉では言い尽くせない。私が人知れず、数えきれないほど流した涙を知る貴重な人物だ。私のありのままを認め、励まし、寄り添ってくれる存在がいるだけで、前を向いて生きていける。数ではなく、質の大きさと深さが重要なポイントだ。私の本当の人生を照らしてくれる光の存在。

 

 もし、今あなたが機能不全家族の中で悩んでいるとしても、どこかに必ずあなたの味方になってくれる人がひとり以上はいる。人生の闇をたくさん見てきたとしても、光はあるのだ。それをぜひ心に留めておいてほしい。