私だけではなく、父も母も種類や程度の違いこそあれ、機能不全家族の元で育ってきた、という悲しい背景があります。機能不全家族は、この状態はおかしいと気づき、自分で自分を救う魂が現れない限り、先祖代々、世代間で受け継がれていくことを繰り返します。満たされずに育ったという自覚は本人にありますが、そこで自分の心の闇に焦点を当て、自分を救うという作業へと移行できないと、どれだけ一生懸命に親の二の舞にはならない、と決意しても、本来の、子への愛情の注ぎ方や、互いを尊重した、上下のつながりではなく、横のつながりで、対等な自立した健全な関係性の築き方を知らないので、それを実現することは、ほぼほぼ不可能なのです。親からの愛情を得られず、傷ついた自分の心の闇は、そこを直視して、解放するという作業を経ないことには、結局は、子を自分の心の投影として見て、満たされない心を子どもによって、埋めてもらうという図式に無意識化で転嫁されがちです。
父も母も、不器用ながらに一生懸命に子へ愛情を注いできたつもりであり、初めての子育てに奮闘しながら、時にはどうしていいかわからないながらも、愛してきたという事実は確かにあります。それが、わが子を苦しめているとは、顕在意識下では全く気付いていないのです。父も母も昭和の戦後に生まれた団塊の世代です。ここ数年不登校の問題や、引きこもり等の話題や対策などの情報が広がりつつありますが、母や父が生きた時代背景では、満たされずに育ったのが当たり前、自分の心のケアをカウンセリングなどで行う、などという概念自体がほぼなかったわけです。
父も母も上手に表現することが苦手でした。子どもに愛情はたっぷりとあるものの、上手に子どもを適切に褒めたり、といった声掛けや、子を抱きしめる、と言った行為は苦手のようでした。私も兄も、あまり褒められたことがないのは、きっと褒めたくなかったのではなく、どこか気恥ずかしかった、というのが本音のようでした。
子どもへしっかりと食事をさせ、衣服を与え、部屋を与え、物質的には満たせてくれました。残念ながら、子どもの心をありのままに見て、尊重するということはできない、子どもの心、人格、意思、思いを無視した、硬直的で厳格な家庭を築いてしまいました。それは、父も母も自分の気持ちを認めてもらえない、子の心を軽視した家庭に育ったからです。
ですが私は、自分の心の闇に気づかせてもらう出来事を経験したのです。父や母に顕在意識下では悪気のない行為であっても、愛情だと思い込んで与えてきた行為は、子を苦しめてしまう毒であったのです。その毒に残念ながら、親は気づくことはありません。気づいて受け止めるだけの精神的体力、魂の器量がないのです。母は、娘に依存するという立場を無意識下で選択しています。愛情と思い込んでいる、強力な接着剤で、娘を縛ってしまうのです。私が、機能不全家族の異常さに気づき、必死にそこから逃れようとし始めた時から、母は猛烈に私をつなぎとめようとしてきました。
私は母を救いたい、と当初は思い、カウンセラーさんに尋ねたことがあります。しかし、団塊の世代を生きた70歳代の人が、自分の価値観を見つめ直すということは、不可能に近いのです。心が柔軟で、既存の価値観に囚われない自由な心を持っていればできなくはないかもしれません。ですが、自分が正しい、と深く思い込んでいる人に、どれだけ知識や情報、心理療法を与えても跳ね除けてしまうのです。刺激して返って症状が悪化していくだけならば、そのままにしておいてあげた方が良いのです。母は、精神的にうつ症状も患っていますので、余計に精神的なダメージを与えるだけなのです。真実を受け止める心の余裕はありません。
ですが、私にはまだ残された人生の時間があります。親への恨みつらみだけで、人生を終えるつもりはありません。このような経験をしても、気づく出来事が来た、ということは、私には次なる魂の壮大な計画があるのです。親が改心しなくても、自分を自由にすることはできる。それを、同じ機能不全家族で育った人達に伝えたい、とそう思うのです。