機能不全家族の元で生きる人達が身に着ける代表格のひとつが、完璧主義である。親自身が、常に親業を完璧に振る舞うことは、無意識レベルで、子にも「あなたも完璧でいなければならない」という、メッセージを与え続けることになる。
完璧を求められ続ける子の深層心理下では、どんな葛藤や混乱が生まれるかと言えば、常に完璧でいるために、四六時中神経を張り巡らし、ミスがないよう細心の注意を払う。
子にとってみれば、完璧でいた時だけ、親が自分を容認する、という図式なので、なかなか得られない、親からの愛情を求めて、際限なく、不毛な努力を永遠に終わりなく強いられ続ける。これがどんなに過酷な状態か、経験したことのある人なら身に染みるほどではないだろうか。
私の原家族(過干渉、母娘共依存という機能不全家族)も、例外ではなかった。私には少し上の兄がいたが、兄もどこから切り取っても優秀そのものの優等生だった。常に身体も心も緊張しっぱなしだったと、大人になってから聞く機会が一度あった。かくゆう私も例外ではなかった。
ー2番目かつ末っ子でわがまま放題言っている娘ーと親はそういう風に私を認識していたようだったが、私も兄と同じような葛藤や緊張を常に抱えていた。(私の場合は、「優等生」という役割だけではなく、他2つ持っており、かつ、母娘共依存状態であった。「役割」の記事を参照のこと。)
完璧主義でいるためには、ミスはしてはならない。それが認知の歪みを生み出す。全か無か思考。オールオアナッシング、白黒思考。どれも同じ思考癖を指している。この思考になると、両極端な結論にしかならない。いわゆるグレーゾーンを認められなくなる。
解釈の仕方は、0か100かのふたつではなく、その間に、1~99までいろんなグラデーションの解釈の仕方が、本来は存在する。でも、ミスをすることがタブーである場合、100できなかったら、もう0なのである。これはとても苦しい思考癖である。
完璧主義を強いられるということは、ほどほどの限界を教えられない、ということなので、ずーっと走り続けなくてはいけない。そんなこと無理な話である。しかし残念なことに、親は、子が血を流すほどの努力をしていることに気づかない。
走り続けた子はどうなっていくか?自殺願望が芽生えるほど追い詰められる。自殺を回避できる、ぎりぎりの所で頑張っているのに認められない状態が長く続いていくと、燃え尽き症候群になり、学校に行けなくなったりする。そのような事態になっても、親は気づかない、という悲しい事実。
我が家の場合、気づくどころか、その事態に親は大パニックになり、乱れる親を目の当たりにして、私はどうしたらいいのかわからず、この緊急事態をなんとかしなければ、と必死に考え、信頼していた学校の先生に相談し、後日家に来て下さり、親をなだめてくれた。
とりあえず落ち着いた母はその後、私にありったけの愚痴、兄への批判を述べ続けた。私は心底悲しかった…。わが子にそこまで批判ができるなんて。内容は、これだけお金かかっているのに、とか、どれだけ親に迷惑をかければ済むのか、とか、後は、ほぼほぼ人格否定だった。私の方が泣きたい気分だった。
私の不安な心を受け止めてくれたのは、相談した先生だけだった。私は手紙に状況を書いて、その先生に渡した。その後、誰もいない職員室に先生が私を呼んだ。
私にかけた先生の言葉は、「これは、お前が解決できる問題ではないよ。僕が行ってご両親に話をしよう。お宅に行きます、とだけご両親に伝えて。」
その先生の前で、私はとめどなく号泣した。今でも脳裏に焼き付いていて忘れられない一場面だ。夕暮れの誰もいない職員室で、唯一信頼できる先生の前でだけ、こらえていた不安と思いが溢れ出して、ずっと泣き続ける私。
私だけではない。一番泣きたかったのは、頑張り続けた兄であったはずだ。子が発するSOSに親が一番に気づくべきなのに、その親自身が子を追い詰めている。あの時、先生は親をなだめる言葉だけをかけた。兄に対しては、「何も言わず、そうっとしておいてあげてほしい。」と。
でも、今振り返って時々思う。先生が、私の親に本当に伝えたかったことは、別の言葉だったのではないか、と。本当は、「気づきなさい。子を追い詰めていることをー」そう言いたかったのではないかと思うのである。
ただ、運よく機能不全家族から抜け出しても、その思考癖に気づいて、緩めていかないと、その思考癖がその人をずっと苦しめ続ける。私が思うに、完璧主義を持っている人は、幸福感を感じるセンサーが発達していないように思う。
幸せを感じるセンサーを使っていないので、その人にとって幸福な事が、例え99あったとしても、たった1つでも耐えがたいミスなどの嫌なことがあると、その事実を受け入れられずに、頭からその一つの嫌なことがずっと離れない。
しかし、それはやむを得ないことだったのだ。そうでないと、その機能不全家族の環境を生き抜いていくことができなかったのだから。
私が、日々起きる出来事に感情が振り回され、乱される原因は、幸せをカウントするアンテナが弱くなっている、ということなんだと気づいた。嫌なことがあっても、良かった99のことに着目する練習を行っている今日この頃である。