今、私は回復の途上にいます。回復ステップでいうと、③~④にあたる段階です。でも、時々①や②に戻る時もあります。過去の癒されるべき感情は、40年も蓄積されていたので、やっぱり、一瞬でぱっと解消できるわけではありません。
これまでも、数年を要して、ようやくここまできました。でも、まだまだ、回復の途上です。登っても登っても、頂上が見えてこなくて、途方に暮れる時も、正直言ってあります。でも、少しずつ見える景色が変わり、自分の感覚が蘇り、心が少しずつ軽くなっていきます。だから、諦めようとは思いません。もうライフスタイルの一部になっています。回復の道を歩んでいくことが。過去の、もういらない役割や思考癖が出てきても、あ~また出てきたな。やっちゃったなと後から気づきます。でも、気づけた私に、成長の証を感じるから、もう過去と同じ癖が出てきても、自分を責める、ということをしなくなってきました。
そんな今の私を、時々悩ませるものがあります。それは、親からの接触です。毎回、罪悪感との戦いです。親は、私の気持ちを優先させることは、これまでも、そしてこれからもありません。残念ながら、同じ血を分けた母娘なのに、ここまで分かり合えない事態は、とても辛いです。何が、一番辛いか。自分の心を殺して、母の望む通りに生き、母を気遣い、世話をした、血を吐くようなその役割を再び演じるように、親は無意識に要求してくることです。やっと苦労して、その役割を脱いだのに、またその苦しい役割を演じて、自分に接するように要求してくることです。
接触があると、過去の大きくて深い悲しみが、怒涛のように蘇り、私を苦しめます。電話でも手紙でも、自分の要求や不満ばかり書いてあります。私がどう思っているか、感じるか、という視点は全くありません。私の波動を下げるだけのものに、触れたくありません。一分でも一秒でも、私は私のために、幸せを感じることに有限の時間を使いたいからです。
でも、私は、考え方を変えました。一番、自分の要求を優先させることが出来なかった親に対して、今、私がどうしたいか?という選択を、親からの要求に負けずに貫くお試し試験だと思うことにしました。以前は、話したくなくても、電話にも出ていました。でも、声を聞くと、瞬間的に過去の、母を喜ばせるスイッチが、パチッと心の中で入るのを感じました。そして、どんどん母を喜ばせる言葉を、自分の本心とは裏腹な言葉が口を突いて出てきました。そして、後から激しい後悔、歯がゆさ、悔しさ、深い悲しみが押し寄せてきました。
「私は、どうしたい?」「どうすれば、心が楽になれる?」そういつも問いかけます。私の答えは、今は、回復に専念したい。放っておいてほしい。それだけです。もう少し、私の癒しが進んでくると、おそらく親からの接触にも動揺せず、自分の意思を貫けるようになるのだろう、と思います。でも、私の親は、私の意思を貫くことを受け入れる親ではありません。
正直言ってとても悲しい現実です。親だけでなく、親戚からも、なぜ愚痴を聞いてやらないのか?とメールがきて憤慨しました。こんなにも血を吐く思いで、辛い役割を演じた私に、またその役割を要求してくるのですから。
血を分けた親であっても、子の人生を踏みにじる権利はありません。私はもう立派な大人なのです。辛くて悲しい学びでしたが、私はこの親を、魂レベルで選んだのでしょう。この経験を糧にして、私は大きく羽ばたくのだと、そう決意する今日です。
子離れできない親への最大の恩返しは、完全なる自立だと、ある本の一節にありました。親へは生んで育てて命を紡いでくれたこと、このことだけはいつも感謝しています。