機能不全家族の中で生き延びてきた子どもは、過去を振り返ると、必ず見えてくるものがある。それは、ある一定の役割を演じてきた、ということだ。不安定な環境をどうにかして生きていく為に、その家族を維持させる為に、「役割」を担う。その人の状況や環境によって、演じた役割は様々だが、私のように複数の役割を持っていた人も存在する。自分の「個」を守る、あらゆる「境界」がないだけでも、生きていくうえで致命的な損傷なのに、それに加えて複数の役割も担った。生命エネルギーは、他者へとだだ漏れ状態、いつも疲弊しているのも、今では深く納得するのである。

 

 私は、「優等生」「いないふり」「世話役」の三役を時と場合に応じて、使い分けて生きてきた。

 

 ここで、典型的なパターンとして挙げられるものを、簡単に列挙してみる。

 

 「優等生」…自分の気持ちを押し殺して、ひたすら周りの望む、非の打ちどころのない、パーフェクトな自分を演じる。この、優等生は、ちいさなおとな、ヒーロー、一家の柱、責任を負う子、リスポンジブル・チャイルドとも呼ばれ、混沌とした家族を安定させるため、物事を一生懸命管理する役割も担う。

 

 「いないふり」…順応者、忘れられた子、ロスト・チャイルドとも呼ばれ、受け身に徹し、自分の望みや要求を言わないことで、家族の安定をもたらす役割を担う。

 

 「世話役」…家庭内ソーシャルワーカー、なだめ役、プラケイターとも呼ばれ、家庭内の情緒的なニーズに応じ、苦痛を和らげる役割を担い、また人(主に親が多い)の役に立つことで、自分に関心を持ってもらい、自分の心の奥にある、深い悲しみ、つらさ、怒りなどに目を向けないようにする。(自分に関心をもってもらえていないことを直視したら、その環境を生き延びていくことは、とてもできないだろう。心の防衛本能の一種である。)

 

  ※「子どもを生きればおとなになれる」クラウディア・ブラック著 より、一部、内容を抜粋。自分の過去を知るうえで、とても助けになった愛読書。ほかにも、「問題児」などもあるが、ここでは省略する。

 

 これらの役割は、混乱した機能不全家族の中では、メリットとして機能するが、おとなになると、本人を苦しめる要素が強くなるので、役割の内容や、役割を持っていたことを認め、肯定的な側面は維持し、デメリットな部分は手放す、という作業が必要である。もう役割はいらない。人は、役割など持たなくても、本来は、生きているだけで素晴らしい、価値のある存在なのだから。悲しいけれど、それらの役割を持たないと、その家族の中では認めてもらえなかった、という過去の事実があるだけだ。