問題を抱えた機能不全家族(私の場合は、両親過干渉、母娘共依存)の元で育った人は、とても不安定な状況を必死で生きることになる。子ども自身の「個」を尊重されないこと、それは子どものあらゆる境界を認めてもらえないことを意味する。それは、物事の限界を教えてもらえなかった、ということにも繋がる。
限界を教えてもらえない、というのは、ほどほどのライン、ふつうのラインの認識が芽生えず、限界を超えて、疲弊するまで物事を永遠にやり続けてしまうということだ。やがて、それは燃え尽き症候群へと進行する。そして、心身に影響を及ぼす。
健全な場合、自己を確立させ、また自分を適切に守るために、親からの愛情を受けながら、自分なりの境界線を築き上げていく。ところが、親が子どもの境界を認めず、侵入し続けると、子どもにとっては、境界の混乱、ひいては、境界自体を築くことが出来ずに、私のように、本来あるはずの境界が消失状態で、不安定な人生は歩んでいくことになる。
境界があれば、自分を適切に守れる。周りの大人達が、愛のない不適切な言葉を言った時も、それを自分の心に入れない、といった選択をすることができるので、無条件降伏のように、心の中に入れ、深く刻印されてしまうことを防げる。しかし、境界がないと、心深くに刻印していまい、さらには刻印された呪いの言葉は、その後の人生に悪影響を及ぼし続けることになる。呪いの言葉によって、またその呪いの言葉が正しいと証明されるような出来事がやってきて、その思い込みは、どんどん強化されていってしまう。
もちろん、大人になってから、それを取り除くことは可能だ。まさに今、私がやっている、回復ステップ③「取り込んだ信念に挑む」である。でも、できることなら、心に入れないで弾けるようになっていることが理想である。人生を取り戻すことはできる。できるが、私のように、機能不全家族という環境から、できるだけ早く離れ、自分を取り戻す回復の道を早く歩み始めた方が望ましい。自分の本当の人生を生きる為に。
今、ある通信セミナーの教材を使って、「境界」を含め、私を生きるスキルを学んでいる。とてもわかりやすくて、境界のイメージがおぼろげながら、わかるようになってきた。ここで、初歩的な境界について少し触れてみる。
「境界」には、目に見える境界(身体・時間・空間・持ち物・金銭など)と、人それぞれ感覚で認識しているが、目に見えない境界(思考・価値観の境界、尊厳の境界、感情の境界、責任の境界、性的な境界)がある。
目に見える境界は、境界線を引きやすい。しかし、目に見えないけど、人それぞれ感覚として身に着けている境界は、混乱しやすい傾向にある。どちらにしても、境界の侵入が起きているサインは、自分の心に不快感が表れた時だ。
目に見える境界としては、友人に勝手にスマホを覗かれて嫌な気分になった、などである。その友人との関係性や、その人自身がどの程度まで他人に開示したいかのラインによって、境界のラインはそれぞれ違ってくる。例えば、とても親しい親友なら、不快な気分にならない、といったケースもあるだろう。
どんな人もマイルールとして、本当は持っているけど、おそらくはっきり意識できている人は少ないと思う。(意識できている人、または意識していなくても、人に振り回されず、はっきりNo!が言える、などで対処でき、困った状況にならない人は、境界がしっかりと確立できている証拠だ。)私も、この通信セミナーをするまでは、はっきり考えたこともなかった。バウンダリーの本も以前、読んでいたが、いまいちピンと来ていなかった。
しかし、意識していなくても、感情がきちんと教えてくれる。人間は、実に優れた感覚を備えていると思う。感情の扱い方を知らないうちは、感情に翻弄され、疲弊してしまう、困った存在のように感じるけど、きちんと、感情を大切なものとして向き合えば、とても優れたセンサーとして活躍してくれる。感情の素晴らしさを、少しずつ実感してきている今日である。感情の取り扱い方も、今、初めて学んでいる。
話を戻して、それぞれの境界について、簡単に列挙してみる。
・身体の境界…私の身体は私のもの。身体に触れていいか、どこまで近づいていいかは私が決める。
・時間と空間の境界…私の時間と空間をどこまで、他人と分かち合うか、どう使うかは自分が決める。
・金銭・持ち物の境界…お金、持ち物をどのように使うかは私が決める。他人に指図されない。
・思考・価値観の境界…私が、何を考え、何を選択するかは私が決める。人に指図されたり、否定されたりしない。
・尊厳の境界…私には人としての価値がある。人種、肌の色などによって、人格、尊厳を傷つけられない。
・感情の境界…私が、怒ったり、悲しんだり、どんな感情を感じるかは自由。感情を他人に否定されたりしない。
・責任の境界…自分のことは自分で責任をとる。しかし、人の責任を、肩代わりしたりしない。
・性的な境界…私の性は、私のもの。誰とどこまで関係を持つかは、私が決める。勝手に侵害されない。
目に見える境界も、目に見えない境界も、まずは自分で、不快と感じるラインをはっきりと意識できることが重要だ。しかし、境界を侵害され続けた人は、嫌なことをされることに我慢する耐性がついているので、嫌だ、と感じていること自体に気づきにくい。まずは、自分の不快センサーに気づくこと、が第一歩である。