ある日のカウンセリングで、こんなワークがあった。
C:「お母さん、大嫌いと言ってみてください。」
今の私なら、あっさり言える言葉です。
(母が大嫌いという意味ではありません。今でも母には感謝しています)
でも、これを言われた当時は、まだ癒しの段階真っ只中だった。
その言葉を聞いたとたんに、胸がぎゅうっと苦しくなり、同時に涙が溢れ出した。
そんな言葉、とても言えなかった。なぜか?
・神のように尊敬する母を大嫌いだと一瞬でも思ってはいけない。
・世界一愛する母のことが、心の底から大好きである。
・母が原因だと思いたくない。
…そんな気持ちが入り混じっていたように思う。
カウンセリングを始めてから、手に取った本の中に、”カプセル母娘”というワードがあった。
子は全依存状態で生まれてくる。そして母から世話をされ、愛情を注がれ、
自己肯定感と自信を少しずつ深めながら成長していく。
やがて自我が芽生え、親から少しずつ自立し、親から離れ、自分の個を形成していく。
ところが、カプセル母娘の場合、非常に濃厚な共依存関係にある為、
子の自立を親が阻む。それは無意識レベルで行われる為、親も子も互いに苦しめられているとか、苦しんでいるという自覚がない。
(自覚がもしあるなら、それが行き過ぎた異常な状態であると気づき始めているか、わかっているのだと思う)
そしていつまでも、親に依存するような状態に置かれる。
私の場合は、私の成長に合わせて、母と娘の立場(役割)も逆転していた。
ここでの「役割の逆転」とは、子供である私が母に甘えるのではなく、母が私に甘えている状態を指す。
母は、満たされない心を娘によって満たすのである。
母の愚痴を聞き、母が喜ぶ言動をし、母が一番望んでいる娘、を私は演じていた。
「演じている」とは全く知らずに。
私は、自分の本心で、母と仲良くしていると思っていたし、
私の人生の選択は、母の意向ではなく、自分で決断した、と思い込んでいた。
なぜなら私の親は、怒鳴ったり、不機嫌な態度を取ったり、といった
トラウマの原因となるような接し方は一切していなかった。
では、どうして私は、身体的虐待を受けた子供と同じぐらい、相当な重症レベルだったのか、ということ。
ひとつは、共依存状態が40年と長期に及んだこと。
長ければ長いほど関係が強化され、それに伴い脱却することが難しくなり、そして回復までに時間がかかる。
もうひとつは私はHSPであること。しかも、その中の「HSS型HSP」に該当する。
(HSP=Highly Sensitive Person 5人に1人はいる「とても敏感な人」
※イルセ・サンの本に深い感銘を受けた。)
このことがより事態が深くなったことに関係しているかもしれない。
(あくまでも私見。家庭環境によりHSP化する人もいると思う。
私はおそらく、先天的であると思われます)
親が望んでいることが、何も言葉に発していない段階から
(親の表情や空気感、微妙な声色の違いなど)敏感に察知することができる為
親が望む役割を、実に完璧にこなすことができていた。
だから、親は実に少ない労力(皆無と言ってもいいくらい)で、自分の思い通りになる娘に対して、声を荒げる状況は全くなかったのである。
ちょっと優しい口調で言うだけで、全てを察する娘。
周囲からは、とても仲の良い母娘、としか映らない。
本当の私を固く封印し、私の人格を殺して、母の操り人形を40年もやっていた。