29日の夜、首を長くして待ったコードギアスの第24話&25話スペシャルが放映された。当然、録画などは避けて、放映されるのを楽しみに待っていた。以下、ネタバレを含むので、見ていない方は全力で読まないように。また、放映された画像を使うのも避けておくので、とりあえず視聴。さらに言えば、絶対、最初に23話全て見てから、24、25を見ることをお勧めする。



 あの惨劇から四ヶ月。最後の22話と23話の衝撃シーンの興奮から、続きをとても楽しみにしていた。それは私だけではなかったはずだ。だが、やはりこの4ヶ月は長かった。


 私も子供ではないので、大人の事情というのはわかっているつもりである。放映されるのがDVDがほとんど出てからにしたのも、商売上は成功したかもしれない。さらに、ニュータイプを始めとするアニメ誌で、コードギアスの特集をくんで、テンションを下げないように頑張ったのも、それなりに評価したい。


 しかしだ、しかし、季節が春から夏に変わるという時間の経過は多くの人を遠ざけてしまった。


 個々の感想というのは千差万別である。アニメの見方にしても、私と同じような見方をしている人ばかりとも限らない。なので、多くの感想があってまことに結構なのだが、最初に言うことは厳しい評価をせざる得ないということだ。だが、待って欲しい。これが、もし・・・もしも、全25話を間をあけずに放送されていたとしたなら・・・。待ったく別の感想を書いていたはずである。それだけ・・・時間の経過があまりにも、わたしの中での興奮を冷めた圧倒的な要因となってしまっていた。


 そして、大多数読者もそうであると思う。商売的には成功して、続編の制作も決定している。DVDや各関連グッズの売り上げも好調らしい。私も上のミニフィギュアを何個か持っている。DSでゲームも出る。ピザもたくさん食べた。


 それだけに惜しい作品となってしまった。大人の事情は純粋にアニメを楽しむ者には邪魔な存在でしかない。人気が出て続編を制作するのはいい。大いにやってくれ。この先、続編が放送されれば、おそらく視聴するだろう。だが、深夜アニメの革命とも評価した、あの時の興奮や感動は・・・もう、味わえないだろう。


 私がするアニメの批評は辛口だと、過去に書いた。そして、風呂敷を包めないアニメ、また物語がキャラだけしか魅力のないのアニメは紹介すらしないと書いた。それがどれほど大人の事情があってもだ。


 一言で言えば、そうアニメで絶対にやってはいけないタブー(ただの個人的な意見だが)、風呂敷を包めないまま終わってしまった。全て投げっぱなしで、多くの伏線は未回収、それどころか、この期に及んで、新キャラクターや謎まで出てくる始末・・・。これをどう評価しろと・・・。他の多くの視聴者も海よりも深い憤りを感じているはずだ。


 つまり、つまりだ。商売を気にするあまり、(シナリオや脚本、伏線の張り方やらは最高ランクの評価しても良かったのだが)あらゆる意味での演出が評価を下げてしまった。今の時点の評価は急激に落ちた。急降下である。コードギアスショックだと言っても過言ではない。



 風呂敷を包めないまま、また一時的にすらまとめられない作品を、次に期待しろといっても、続編が放送されるのは、早くて10月以降・・・残念だがそれほど待てる読者はほとんどいないだろう。この放送によって、コードギアスの人気は坂を転げ落ちる結果となってしまうのが残念でならない。








  前回の終わりにポツダム宣言を取り上げました。


 途中から読んだ方や、初めて読んだ方には、是非とも過去ログを振り返ってもらいたのですが、何かと忙しいと思いますので、少し前回までの総まとめをしておきます。


 まず、今回の主題に取り上げているのは『憲法』の話です。近年、日本で『国民投票法案』が可決されました。この法案は、今まで一字一句変えることがなかった日本国憲法を変えることができるようになるルールを定めた法律です(かなり意訳にですが)。


 ですが、この憲法が作られたのは60年以上も昔のことです。この文章を書いている私も、またほとんど読者の方も産まれていない頃のことです。そのために、憲法については謎の部分や疑問点が多く残っていると思います。


 しかし、そんな謎や疑問点を解き明かしていくのがこのブログの主題ではありません。


 あくまでもこのブログは、遅かれ早かれやってくる『改憲』という、センセーショナルな出来事に対しての心構えみたいなものなのですが、あまり深く突っ込んでいくと、それだけで一冊の本になる奥深い内容ですので、私は代表的な疑問を3つだけ取り上げて、できるだけ簡単に説明しようと思って、書いているのがこのブログだったりします。


 1.なんで憲法を変える必要がある? 


 2.そもそも、憲法ってどうしているの? 


 3.日本の憲法って、誰が作ったの? 


 この3つでしたね。毎回、わざわざ取り上げているのは、いったい何の話をしているのかを、私自身が理解するためであったりもしますが、文章をまとめていくというのは、情報の選択と排除を繰り返し行い、わかりやすく説明するように心がけることだと思います。


 それを推敲や編集と一般的にいいますが、文章が長くなるにつれて、その作業は困難なものになりやすく、主題から離れてしまうことが多々あります。それを避けるために、何度も出して、同じことを繰り返しているのですが、わかっている人間からすれば回りくどく感じるかもしれませんし、実際、内容が進まないというジレンマにも陥るのですが、私的な意見では、どんな文章や作品も、その全体像を知ることで、内容を深く理解できるものではないでしょうか。


 前回までで2の疑問を答えました。


 1 国が守る法律が必要。


 2 他国から自分たちの国を知ってもらう(外交上)。


 3 私たち(国民として、また人間として)が最低限守らなければいけない約束。


 こんな感じで最後まとめ、3の疑問について途中まで説明していたところです。3の疑問は、日本の憲法って誰が作ったのかでした。その説明をするために、まず、終戦前に調印されたポツダム宣言の条文を取り上げて、解説していました。ですが、このポツダム宣言の内容は、ある矛盾を含んでいるのはおわかりでしょうか? 今回はその矛盾からやって行きたいと思います。


   われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようとする意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義”の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。


 ブログというのは実に便利で、前回の内容を、コピペするだけで再現できてしまうのは、文章家にとってはありがたい機能です。さて、前置きはようやく終わりを迎え、赤く強調したキーワード『民主主義』に後注目ください。これが矛盾している内容です。


 そもそも民主主義とはいったい何なのでしょう?


 私もそうですが、民主主義という言葉や意味はわかっていますし、民主主義がどのような理由でできた歴史も知っていますが・・・・。


 文章で説明できますか? 


 子供に聞かれたら答えることができますか? 


 また、その言葉で子供が理解できると思いますか?


 私が何が言いたいのか掴みにくいし、何難しいこといってんだと思うかもしれません。でも、これは熟語で良くあるんですよ。熟語の読みや、書き方がわかるのに、明確な意味を説明することができない。あるいは難しい。民主主義という言葉は、「民主」という熟語と、「主義」という二つの熟語で成り立っているのはすぐにわかるのですが、ばらばらにしても意味はわからない。それどころか分けて考えるともっとわかりにくくなるかもしれません。


 自分が理解しているつもりでも、説明できなければ理解しているとはいえない。私も良く熟語で苦い思いを経験したことがあります。その経験を書くのも面白いのですが、また話が脱線しますんでやめておきます。


 民主主義


 〔democracy〕人民が権力を所有し行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態。ギリシャ都市国家に発し、近代市民革命により一般化した。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をも示す。三省堂提供「大辞林 第二版」より


 わからない言葉は辞書で調べるのが一番。最近は、ネットにも辞書がありますので、ずいぶん調べやすくなりました。辞書で調べると、こんな意味が載っているのですが、はっきりいって、こんな文章で理解できる人間はよほどの天才か、国語能力に長けた方だけではないでしょうか。少なくとも、私にはわかりませんし、子供が理解できるとも思えません。


 民主主義を文章で説明するのは、容易なことではありません。今まで私が書いたどの説明よりも困難な難題なのが、色々と調べていくうちに浮かび上がりました。しかも、自分が思っていた民主主義というのが、相当な思い違いや勘違い、またこんなにも曖昧なものだと知ったことに驚きました。なので、どうやって説明して行くのに、かなり迷ったのですが、まず、私が思っていた勘違いについて話していくのがわかりやすいので、私が勘違いしていたことをあげていきます。


 民主主義は話し合いではありません


 おいおい、いきなりこいつは何を言っているんだ。馬鹿じゃないのか。民主主義っていったら、議題を話し合って多数決で決めることだろうと、反論する方もいるかもしれません。私も、最初はそう思っておりました。けれども、それは多くの日本人の誤解だったのです・・・・。


 ここで終われば、実に気になる終わり方なんですけど、これでは物足りないと思いますので、少しだけ進めて行きます。そして、この誤解が、多くの密室政治や談合などを生み出している原因だったりします。話し合いで決めるのが民主的なやり方だと、日本人は思いがちですが、頭の中を少し整理して考えて見てください。


 話し合いで決めるのは合議制なんですよ。平たく言えば、話し合いに前もってルールはないんです。あるのは力関係の差だったりします。では、民主主義は合議じゃないなら、何なのでしょう。それはたいていの会社で行われている『会議』のことを指すんです。


 会議というのは何なのでしょう? 合議やら会議やら似たような言葉で意味で混同しがちですが、会議の本来の意味はルールに基づく話し合いです。国会でもそうですよね。国会では『国会法』という法律の中で、ルールが厳密に定められています。国会にルールがあるのではなくて、国会の前にルールが存在しているんです。つまり、ルール→国会の順番です。これは民主主義を捉える上で大変重要です。


 勘の鋭い方ならもうおわかりですよね。つまり、民主主義というのは話し合いだけでは理解できないという前提で成り立っているということです。


 長くなったのは気になる続きはまた・・・。いつの間にか、日本政治の少し闇の部分に足を突っ込んでいますが、民主主義を考える上で、重要なのでやって行きたいと思います。



 さて、憲法について書いていく話も、いよいよ中盤に差し掛かりました。もう一度3つの疑問を並べて見ます。


 1.なんで憲法を変える必要がある? 


 2.そもそも、憲法ってどうしているの? 


 3.日本の憲法って、誰が作ったの?


 前回までで2の疑問については解説しましたので、詳しくは前回を参照してください。今回は1と3を両方やって行きたいと思います。この二つは密接に繋がっていますので、実は3の答えがわかれば、1の疑問を考える材料になります。


 実際、1の疑問の答えを考えるのは私だけではありませんし、私が考えた答えを書いたとしても、それは一つの意見であり、絶対そうだと言うわけではないので、もう一度、述べておきますが、このブログはあくまでもそうした意見もあるという程度にとどめてください。憲法変える必要性を論じるブログではないということです。


 では、このブログはなぜ書くのか?という意見も出るかもしれません。それはもう一度考えて欲しいということです。あまり難しい話にする気はありませんが、この疑問は現在進行形であり、専門家の間でも統一した意見があるわけでもないのです。ですが、考える材料を与えずに反対やら賛成、はたまた意見を述べるのは、私的には論理的とは思えません。ですので、私なりに考えた憲法の必要性を書きました。


 未熟な文章ではあり、考える材料の一部を書いているだけにしか過ぎません。ですが、少しでもこの問題を考える時に役に立つことがあれば、私なりに読者様の役にたったということで嬉しく思います。


 『日本の憲法の創始者と民主主義』


 時代を遡ること60年余り。ブログを見ている方はほとんど生まれていない時代の話。日本はアメリカと太平洋戦争の真っ最中でした。


 戦争の結果は誰もが知ってのとおり、日本は長崎と広島に原子爆弾が落とされ、その数日後にソ連(今のロシア)が参戦し、日本はポツダム宣言を受諾、アメリカ軍を中心とする連合国に占領されます。


 ポツダム宣言 昭和20(1945)年8月14日 日本受諾


 ポツダム宣言は全文13条からなり、もちろん原文は当時の日本語で書かれています。ですが、それを読んだとしても意味がわかりにくい。ですので、ネットで現代語訳がありましたので、これを載せることにし、わたしなりの説明を加えていきます。


 われら合衆国大統領、中華民国政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣は、われらの数億の国民を代表して協議の上、日本国に対して、今次の戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。

 説明するまでもありませんね。連合国で意見が一致して、日本に降伏勧告をしているという内容です。



ニ  合衆国、英帝国及び中華民国の巨大な陸、海、空軍は、西方より自国の陸軍及び空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し最後的打撃を加える態勢を整えた。この軍事力は、日本国が抵抗を終止するまで、日本国に対し戦争を遂行しているすべての連合国の決意により支持され、かつ鼓舞されているものである。



 この時といいますか、すでに連合国は日本が戦争を継続できる状態ではないということを知っていました。立て続けの敗戦、東京大空襲を始めとする本土空襲、沖縄戦、あらゆる状況が日本に抵抗できるだけの戦力があったことを物語っておりません。


 そういえば、あるお偉いさんが、日本に原爆が落とされたのは仕方がなかったと、まさに爆弾発言をして辞任に追い込まれましたね。少ないデーターを持ち出す必要性もなく、例え、原爆が落とされなくても、遅かれ早かれ日本が降伏していたことは明白です。国を運営するお偉いさんは、こんな簡単なことがわからないようですので・・・もう一度、歴史の勉強をすることを勧めます。


 ポツダム宣言の署名がなされたのが7月26日です。このことであることに気がつきませんか?すでに日本に戦う力がなかったことは、どんなに遅くても7月26日の時点において、連合国は確認しており、そのための戦後の取り決めがなされていたということです。


 さらにアメリカとソ連の密約、今の北方領土問題にも関わるヤルタ協定などは1945年2月に結ばれています。近代史というのは複雑に絡み合っておりますので、一つ歴史の話をすれば、他の話も出てきて、一向に終わりがなく続いて行きます。今回はポツダム宣言だけを視野にいれて、続けて行きます。


 なお、ヤルタ協定の話は、北海道を紹介した時に触れたのでこちらを参考にしてください。→ヤルタ協定


 

   無分別な打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れた、わがままな軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御されるか、又は理性の経路を日本国がふむべきかを、日本国が決定する時期は、到来した。


 

 これも説明するまでもなさそうですが、さっさと降伏しろということです。


 


 五 われらの条件は、以下のとおりである。われらは、右の条件より離脱することはない。右に代わる条件は存在しない。われらは、遅延を認めない。

 


 他に条件はつけない。これ以外は認めない。つまり、最終通告。


 


   われらは、無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは、平和、安全及に正義の新秩序が生じえないことを主張することによって、日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に除去されなければならない。


 日本が世界征服を企んだかまではわかりません。


 

   このような新秩序が建設され、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証があるまでは、連合国の指定する日本国領域内の諸地点は、われらがここに指示する基本的目的の達成を確保するため、占領される。



 この7条に基づいて、日本は連合国に占領されたわけです。



 八 カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される。



 カイロ宣言というのは、簡単に述べれば三国軍事同盟を結んでいたドイツ、イタリア、日本の処遇についてのことです。長くなるので今回は触れません。



   日本国軍隊は、完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。



 機会を与えられる。確かに日本軍は解体され、兵隊は街に戻ってきました。ですが、ほとんどの街は焦土、焼け野原と化しており、平和的かつ生産的な生活などとは程遠いものだったことは言うまでもありません。



   われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようとする意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義”の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。



 いよいよ出てきました。わざわざ赤く強調した民主主義にご注目ください。さて、この文章を理解するキーワードは民主主義とは何かにあります。それを次回に説明して、残りの宣言を見ていきたいと思います。



 前回から少し時間が経ってしまいましたが、続きを書いていきたいと思います。


 2.そもそも、憲法ってどうしているの?


 何回かの話を読んだ方ならもうおわかりですよね。


 平たく言えば、憲法は国が守る法律ということです。


 権利の請願の歴史から近代までの歴史を簡単に説明すれば、清教徒革命、名誉革命、権利章典、アメリカ独立戦争、フランス革命などを通じて、人々は参政権を国から国民、つまり自分たちが持つようになります。その中で、『近代国家』として、他の国から認められるには憲法が不可欠だと言われるようになります。また私たち国、日本でも、明治維新以後において、憲法の必要性が重視され、議会の成立とともに、大日本国憲法が創られました。この憲法の草案がドイツ憲法であり、それを視察したのが初代総理大臣、伊藤博文でしたが、この辺りは日本史で聞いたことがあると思います。


 では、なぜ憲法が不可欠だといわれたのでしょう?


 歴史というのは暗記科目だと、よく言われておりますが、歴史を得意とする方は歴史を暗記科目の位置づけで覚えていることはあまりないと思います。確かに正確な年号やら事件の名前は覚えることが必要ですが、歴史を覚えるコツはなぜ?を考えることだと思います。


 少し、試験勉強的な話になりますが、この憲法が不可欠だという理由がわかるだけで、日本史で出てくる伊藤博文が何をして、どうしてそんなことをしたのかが推理できるんですよ。


 伊藤博文という名前を思い出すことは簡単だと思います。ですが、何をした人物か思い出すことは難しいかと。


 『ああ、確かに日本史で伊藤博文って、出てきたなあと・・・でも、何をした人だっけ・・・。そうそう、初代総理大臣だ』


 この当たりもなんとなくわかるんじゃないでしょうか。ですが、試験というのはこんな簡単な事はほとんど聞かれません。普通に考えれば、伊藤博文がなぜ、総理大臣に選ばれたかを聞く問題が多いと思いますし、記述式ならさらに難しくなります。


 『総理大臣に選ばれたのだから、きっと何か凄いことをやったんだなと。じゃ、何したんだろう・・・。そうそう、どこか外国に視察に出かけたんだよな?どこの国だったかな・・・それに何しにいったんだ。視察ということは遊びじゃないよな・・・伊藤博文が初代総理大臣になった時に、何か重大なことなかったけ・・・ああ、そうだ。憲法だ。確か、大日本国憲法ができたんだったかな』


 まあ、ここまで思い出し後は、文章を構成して繋げていけば、半分の点数はもらえると思います。


 話を戻して、なぜ憲法が不可欠なのかの答えを述べたいと思います。憲法は国が守る法律だと上で説明しました。国が守る法律。つまり、他国から見れば、その国はその憲法に従って、条約やら協定などの外交政策を結ぶということがわかります。言い換えれば憲法というのは、自分たちの国がやることとやらないことを書いてある、いわば国の指針だと言い換えることができます。


 日本は憲法を作ることで、私たちはこんな取り決めで、皆さん方とお付き合いしますよ。と、全世界にアピールしたわけですね。これでより国の指針が明確になり、他国は日本の憲法を研究することで、日本との付きあい方を考えるわけです。憲法が、もしなければ、日本という国が何を考えているのかが明確にわかりません。例えば、大日本国帝国憲法の第一章にこんな記述があります。


 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


 文字が今と違って、カタカナでわかりにくいですが、簡単に要約すれば、大日本帝国(日本)は天皇が統治しています。ということです。これによって、他国は日本の統治者が天皇だということを知ることができるわけです。こんな決まりが延々と書かれております。余談ですが、少し見て行きましょうか。


 第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所に依リ皇男子孫之ヲ継承ス


 皇室典範というのは特殊なもので、私たちにはまったく関係ない天皇家だけの決まりごと大全集みたいなものです。その中で皇位は、男子だけが継承すると書いてあります。


 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス


 天皇は神聖(神様みたいなもの)なので、絶対に逆らってはいけない。と要約すればいいと思います。べからず・・・~してはいけないのという、強い禁止の表現だったかと。


 こんな感じで色々と書かれているのが憲法で、昔の文字であるために、あまり意味がわかりにくいのですが、我々にとっては学習する上で必要なだけで、生活にはまったく必要ないので気にしなくてよいかと。


 長く説明してきましたが、憲法というのがなぜ近代国家に不可欠だということがわかったでしょうか。この時代の強い国を列強と呼んでおりましたが、列強国は言わずと知れたイギリス、フランスまたはドイツなどをはじめとする先進国の面々です。


 その仲間入りするためには、大人の付きあい方として、憲法や議会やら、後様々な政策が必要だったのです。ルールがない国は野蛮国、非文明国とみなされていた時代ですので、あまりピンとこないかもしれませんが、時代の風潮というのはその時代をよく知らなければわからないものなので、わからなければ飛ばしてくださいませ。


 日本を近代国家に仕立てたい。そのためには議会や憲法が必要だ。今の日本の天皇制を維持しながらも、都合のよい憲法はどこの国か・・・伊藤博文はそのために各国の視察に赴き、最終的にドイツ憲法が理想的な形とみて、それを元にして、憲法を作成したわけです。


 さて、これで2の疑問が説明できました。憲法が必要な理由は、大きく分けて3つ。


 1 国が守る法律が必要。


 2 他国から自分たちの国を知ってもらう(外交上)。


 3 私たち(国民として、また人間として)が最低限守らなければいけない約束。


 3は道徳やら公共の福祉に関することです。日本国憲法でも、よく公共の福祉に反しない限り、という条文が出てきますし、何度かブログでも説明した内容です。


 ようやく2も説明できましたので、次からは残り二つの疑問を説明して行きたいと思います。



 前回の話は、大航海時代にかけて、商人の富の蓄積が増加、都市の発展によって、次第に政治に参加するようになるという流れを追ってみました。憲法とは全然関係ないような話かと思ったかもしれませんが、人々の意識改革においては、大変関係ある話になります。話はかわりますが、現代でも、人々が政治に参加するというのは、変えて欲しいと思う事があるからではないでしょうか。前にテレビで投票率の疑問の回答をこんなふうに答えるひとがいました。


 日本人は選挙の投票率が少ない。他の国々の人たちは、もっと積極的に参加して投票率が高いのに、これはどうしてなのか。


 それは日本人がそれほど不満をもっていないということ。いくら、今の内閣が駄目とかいっても、日本人そのものに選挙に無関心というわけではなく、多少の不満があっても、概ねは満足しているということでもある。


 この答えを聞いて、私は関心しました。投票率の少なさは、選挙の無関心さだけではなく、本気で国に変えて欲しいようなことがないということなのか。今、年金問題で騒いでおりますが、次の参議院選挙の投票率は果たしてどのくらいになるでしょうね。私は60%ぐらいだと思いますが。


 と、少し雑談しましたが憲法がどうしているの?の続きをやっていきます。議会といえばイギリスです。なので、ここからはイギリスの話です。


 大航海時代において、富の蓄積で大商人となった商人たちは、都市を発展させ、様々な規則や法律をつくりました。しかし、それはあくまでも、都市に対する法律やら規則です。国の法律を作るのは、王や一部特権階級の人たちでした。


 ですが、それも議会の登場によって変化していきます。しかし、議会が出来た当初は、王は完全に議会の存在など無視して、好き放題に振舞っていました。人々は議会を通じて、何度も抗議しますが、王は聞き入れず、人々の不満は高まっていきます。せっかく、ジョン王によって、認めれたマグナ=カルタも、次の王では廃止され、その後、専制君主制がずっと続きますが、まだイギリス出身の王なら、多少の法慣習を守っていました。


 しかし、外国の王が迎えられてからは、イギリスの法慣習などを、知るわけもなく、王は煩く抗議する議会を解散させます。また、ある議員を強制的に逮捕し牢獄送りにし、逆らう者は容赦しないという中世時代の強硬姿勢を貫こうとしますが、議会を無視した行動はやがて一つの事件を引き起こします。


 権利の請願(1628年イギリス)


 1628年3月議会が再開され、その中には強制公債を拒否して投獄された27人の議員を含んでいた。議員達はトマス・ウエントワース・ジョン・ピム・ジョン・ハムデンらを指導者として国王の責任を追及すると同時に臣民の自由と権利の再確認を求める法案を提出しようとした。だが、思想家・法学者として著名であった庶民院(下院)議長エドワード・コークは、法案として提出すると、却って国王の態度が硬化すると考えてより穏便な「請願」の形式を取る事となった。(WIKIより)


 これが権利の請願です。事件の細かい内容は歴史の勉強ではありませんので、軽く流し読み程度でいいかと。ですが、権利の請願の内容は、現代のイギリスにおいて、不文憲法の位置づけとして、大変重要なので、憲法を考えるうえで参考になりますので、詳しくみていきます。

  1. 何人も議会の同意無しに贈与・公債・献上金・租税などの金銭的負担を強要されず、またこれを拒否した事を理由としていかなる刑罰や苦痛をうけることが無い事。
  2. 自由人は理由を示されずに逮捕・投獄をされない事。
  3. 住民はその意思に反して、軍人や兵士を彼らの住居に宿泊させる事を強制されない事。
  4. 平時における軍法による一般人の裁判は撤回され、判決は無効とされる事。

 重要なのは、これは再確認といっていることです。つまり、旧来のイギリス王からこの請願の内容は約束されていたということです。権利や自由は私有財産同様イギリス国民に相続されているものであることを確認する。


 ようするに、イギリスではこれが『絶対的な掟』だということの確認です。絶対的な掟といえば、憲法に繋がりますよね。なので、イギリスではこの権利の請願を不文憲法の一部として、扱われているわけです。


 この請願によって、コモン=ロー(法の支配)が確立されます。前に出てきたブラクトン判事の言葉『王といえども神と法の下にある』という言葉の概念が明確化されたという意味において大変重要です。


 さて、チャールズ一世はこの請願を拒絶しようとしますが、財政悪化がこれ以上悪くなるのを避けるために、一旦は承認して法として認めます。しかし、腹心が暗殺された後、再びこの請願を事実上無効として、議会を解散させます。


 しかし、一旦認めたものを廃止したという行為は人々の不満をさらに高めました。そして、その不満が、いよいよ革命へと繋がっていきます。それが13年後の清教徒革命でついに爆発する結果となるのです。