やばいよ、やばいよ



て…

いきなり出川さんになって
ごめんなさい🙇‍♂️


なんかさ、
昨日の記事で日本人記者の
安田純平さんの事件のこと
ちょっと書かせて頂きましたけれど。

安田純平さんの過去のツイートをみて
先月末は僕のほうも大炎上しましてね、
批判徹底のツイートをしたわけです。

でもまー
帰国してから安田さんの
謝罪の言葉も聞けて、
僕の気持ちも
落ち着いたというか。

もうだいぶん気は済んだ。

というか、
安田純平さんの

記者として社会人としてどうなのか?
とか、ダメダメなとこは抜きにして、

彼の生き延びるスキルってのは
すごいものあるよね。

それを再確認したくなった。

で、この歌のこと思い出したんだ。



たまたま僕と同じ誕生日で
僕よりひとまわり上にあたるので
安田センパイと呼びながら
批判ツイートしてたんだけど、
敬意の念も
ちょっとはあったりもするのだ。

それが人間というもの♪
ってミスチルが歌ってた気も…
なんだったかな…キョロキョロ


で、残る論点は
外国人による戦地取材は絶対必要
という安田センパイの
主張なのだけれど。

これ、僕の自論を展開すると
めちゃくちゃ長くなっちゃう。。

なので、興味のない方は
読み飛ばしてくださって
大丈夫です。

僕はそんなことくらいで
泣いたりしませんからね…

えーん

ほんとうに…

えーんえーんえーん




さて。いきますか。


結論から言うと、

外国人による取材はほぼ必要なし。

従軍記者的な戦場記者は
軍の行動チェックのために
必要かもしれないな
と思う程度です。

自衛隊の場合も
日誌の改ざんとかで揉めてないで、
信頼に足る外部ジャーナリストの
同行を認めたりがいいんじゃない?

などと思ったりします。

まぁ、それはともかく。

僕は戦地のショッキングな
映像とかは、あまり見たくない。

映画とかにして、
ショックを和らげたものなら
みれるけれど、
ほんとうに生々しいものは
みるほうにも覚悟がいると思うんだ。

心的外傷という言葉があるけれど、
ほんと、映像には
それくらいの外傷を深く負わせる
危険があって、
結局、テレビで観ているのは
そういった問題のないところまで
なんだと思う。

リアルでショッキングな映像は
みたから何かできるわけでもないし、
もしかしたら
精神を病んでしまうかもしれない。

見慣れることで
まるでゲームの映像のように
客観的に眺められるように
なるかもしれないし、

だけども、そのゲームってのは
止めるべきものであり、
参加して拡大していっては
いけないものなのだ。


ただ、プラスになることも
あげるとするならば、

悲惨な状況を知ることで
可哀想だ、という気持ちが
強烈に生まれることかもしれない。

だけど、この手の同情の感情は
ときには厄介だとも僕は思う。

難民を受け入れようか、
とか、そういう気持ちを生むからだ。

難民に関して。

1人2人の亡命者とはわけが違って
あまりにも多い難民の受け入れは
受け入れ国の社会基盤にも
深刻な影響を与える。

過去、トランプ氏の大統領戦において、
トランプ氏を支持する層の声にも
耳を傾けていく必要がある。
と僕は主張を展開した。

移民が米国に渡り
成功を掴むストーリーは
感動的なものではあるが、
そのストーリーに触発され
大量の移民が押し寄せてきては
状況は変わってくる。

映画のような綺麗な事だけでは
やってなどいけなくなるのだ。

ほどよい雨なら大地を潤すが、
度を超えた大雨は洪水となり、
堤防を築け!堤防を築け!
となるのも道理なのである。

だから米大統領戦のときは、

挑戦するスピリットや
機会の平等、
自由と責任など、

そういったものを米国から学び、

それらを祖国に持ち帰って
祖国を再興する意思のある、
研修移民だけを選んで迎えるべき。

と僕は主張した。
いわば、移民の断捨離である。

祖国のことを大切に想う者は
米国民の大切にしている誇りをも
尊重するだろうし、学ぼうとする。

しかし、
サクセスストーリーに触発され、
裕福さを手に入れたいがために

法を犯して押し寄せる者たちは違う。


蜘蛛の糸を読んだのなら
分かってもらえるかもしれない。

僕はあのまま沢山の罪人ごと
極楽に入れればよかったのに…
などとは決して思わない。

そんなことすれば
極楽は大パニック必至だ。

だから、あのとき…

カンダタは
他の罪人を振り落とそうとせずに、
もう一度、地に降りて、
極楽に導かれるための道を
みんなに説くべきだったのだ。

その考えに至り、実践するとき、
まるで雨のように日の光のように
誰のもとにも機会は平等に
降り注いでいることに気づく。

米国移民の話に戻すと、
移民を受け入れるとしても
人物を選別して受け入れる。

そして、
彼ら自身の祖国の再興を促していく
そういった人材の育成活動に
精力を注いでいくならば。

世界は手を繋ぐと僕は信じている。


で、シリア難民についても
同様に考えている。

僕は難民を生み出す状況を変え、
難民を減らすことが最優先であり、
そのために何をすべきかを考えている。

結論は、危険を顧みず戦地に入る
外国人ジャーナリストなどいらない。

本当に必要なのは、
祖国の為に活動する
地元のジャーナリズムを
育成し、争いを止めさせることだ。


詳しくはまた機会があれば書きたい。

大変長くなって申し訳ない。

読んでくれてありがとう。


戦場に行かないジャーナリスト

ORB