移植医療と命の選択 | そうちゃん日記 

そうちゃん日記 

聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

ある方のブログの記事(私の好きな方のブログ)で移植医療と障がいについて疑問が書かれていました。


それは、知的障がい者は移植医療を受けることが出来ないというもの。

命の格差や選別はあっていいものかどうか…。という、疑問につながる問いかけ。

そして、それは私の中でも、ずっとある思いでもありましたので、私が感じてきたことを少し書き残したいと思います。


※これから書くことは、「私が感じてきた」が全てです。

なので、偏っていることもあると思います。

でも、そう感じてきたことが私の事実なので、みなさんは受け流して読んでくださればと思います。


私が最初にそのことを知ったのは、聡太郎が拡張型心筋症と診断され移植しか救う方法はないと医師より宣告された時です。

記憶からの書き写しになるので、多少表現に差はあると思いますが、私にとって大切にしている言葉の一つであり、決して忘れてはいけないし、忘れられない内容でした。


「聡太郎くんには移植しか方法はありません。しかし、移植医療に対しての個人的な意見ですが、同じように心臓が悪い子どもがいた場合、例えばトリソミーなどで心臓疾患の病気をもっていらっしゃるお子さんは移植を受けることができません。なので個人的には、親御さんにとっては同じ命なのに、その命を同じように救えない移植医療は勧められないと思っています。ただ、お父さんとお母さんが移植医療を受けると決められるなら、それは尊重します。」

と、まっすぐに見つめて話して下さいました。


私は驚きとともに、きちんと受け止めようと思いました。

私が移植医療と向き合っていく際に、様々な立場とか角度から見つめなければいけないと思った瞬間でもあります。私個人の中には、医師から言われた多くの言葉が反響しあって、今の私に繋がっています。


ただ私がその後、移植医療と向き合う先生方にお会いして感じるのは、命の選別はしていないということです。

臓器移植法の改正に関われてきている先生方も、心臓なら心臓の悪い子ども全てを救いたいと思っている。でも、様々な賛否が「個人の権利」を訴えることの前に、全てが簡単には通らない現実を痛いほどに実感されているのだと思います。


あと、医学的な問題ですが、知的障がいや発達障がいのある方々(健常者といわれる方でも同じですが)の場合に、移植という大きな身体的・心理的負担を受けることができるのかどうかという問題も現実にあるのだと思います。

何を健康というのか難しい移植医療ですが、移植手術という手術に体力や呼吸状態が保つことができるのか、また術後の管理での合併症や長期に渡る治療に耐えられるのか(それは肉体的にも、精神的にもを含めて)、といった側面は絶対に考えなければいけないことです。

これは、脳死下での移植だけでなく、骨髄移植で知られる造血幹細胞移植も、また治験などでも同じですし、先進医療などでも同じなのではないかと感じます。


聡太郎の移植に対してセカンドオピニオンを受けた際に先生から言われた言葉ですが

「移植というのには条件があって、状況が良すぎても悪すぎても受けることができない。良すぎるなら、自分の心臓で生きることが優先されるべきだし、悪すぎるなら提供を受けても上手くいかない訳だから、ドナーになられる方やドナーの家族の方の気持ちを考えれば、生きて欲しいと願っている訳で、だから、そういった条件はきちんと見極める必要があります。聡太郎くんの場合、今の状況から何か(感染など)が起こったら、移植の適応から外れる可能性があるギリギリの状態です。」と、言われました。

なので、同じ心臓移植を受ける側にも、やはり状況や適応は選別されているのだと感じました。



様々な医療が進む中、権利は大切です。

しかし、同時に、権利ありきで医療を行った場合に、生命予後や生活の質を回復・改善できないのに突き進むことも許されない問題です。個人ありきで、個人の見解や権利を優先することが医療では全てではない現実。

どの医療にも、適応と非適応という判断はされていく。健常者や障がいという枠組みだけでない選別です。

様々な医療が、健常者であれば全て享受できているのかどうか…。障がいがあるから享受できないということなのか。

しっかり見極めて行く必要がありますし、医療の現場で告知をする医師の説明責任でもあると思います。

一言で、「あなたは(あなたのお子さんは)、移植を受けることができません。」または、「提供することができません。」と言った先に、その要因と原因は何であるのか。きちんとした説明は必要です。


そういったことを考えた時に、移植だけでなく多くの医療の中では、障がいを持っているということが適応から外れてしまう現実も医学的側面ではあるのかもしれません。

ただ、その状況をクリアできる障がいであるのなら、健常者と同じように権利をもった医療は提供されなければなりません。


自分が、家族が、子どもが、提供を受けられる、提供を受けられない。

また、どういった状況で提供ができる、できないとされているのか、当事者がきちんと見つめることも大切です。

でなければ、それは本人にとっても、家族にとっても、遺族となった先にも、大きな心の負担(それは後悔という気持ちや悲嘆という気持ちなど)となると思うからです。

この「心の負担」は社会や医療が背負ってくれるものではありません。

私たち当事者が背負うしかないものです。

その時に、社会が、医療が納得している見解ではなく、私たち「本人や家族や遺族」が、どう納得できるのかということが重要でもあるということ。それは社会の様々な意見と1対1で同じにはならないこともありえるということなのではないでしょうか。



改正前の臓器移植法は、生前に本人からの意思表示がされていなければ提供することは不可能でした。

なので、この大原則の前に、本人意思の表現が出来ない方(一般的に知的障がい者といわれる方々や子ども)は含まれることはありませんでした。

そのことに関して、臓器移植法改正を求めて活動している時に、ある先生に質問をしましたら、この問題は大きく社会で議論されることはないけど、医療の中では難しい問題だと話されました。

知的や発達障がい者にも同等の権利として提供者に含めることも可能とする場合、

ある団体からは障害をもった弱者は社会で生きていけなくなる。障がいを持っているなら提供しろ、と社会から言われるのではないか。といった懸念がでてくる。

逆に含めなければ、別の障がい者からは健常者と同じ提供の権利を剥奪している、不平等だ。と訴えられる。


そして、今年7月から施行されている改正臓器移植法では、本人の提供意思は「臓器提供を反対・拒否されている方々を除いた場合」で、家族が総意として提供を承諾した場合に実施可能となりました。


ここで、問題になってくるのは、知的障がい者や子どもで自身の意思表示を出来ない対象者は拒否の意思表示が出来ない。ということだと思います。

でも、社会や医療の場で、だからこそ守られなければいけない存在でもあるわけです。


念のために、臓器の移植に関する法律 最終改正:平成二一年七月一七日法律第八三号より抜粋。

第二条(基本的理念)

4項 移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。

と、法律では定められています。


参考になる…かと思うのは、肝臓移植から多臓器移植などをアメリカ・コロンビア大学で執刀されている加藤友朗先生の「オプトイン・オプトアウト」という概念です。

この考えは、移植医療を受けたい・良いと思う人提供し、または移植を受ける。

しかし、移植医療を受けたくない人・認めたくない人は提供もしないし、移植も受けない。

そのお互いの権利を尊重しあうということです。

言い換えれば、「移植を受けられないなら、提供することもしなくていい」とも考えられるのではないかと…。

加藤先生の正しい言葉は、先生の著書「移植病棟24時」「赤ちゃんを救え!移植病棟24時」に書かれています。


と、書いてから、オプトイン方式とオプトアウト方式が気になって検索した結果、ちょっと難しいので読むのに時間がかかりましたがご紹介を~。

「臓器移植における互恵性」http://wwwlib.cgu.ac.jp/cguwww/06/28/028-01.pdf

このPDFを読むのに、10分以上かかりました。

でも、オプトイン・オプトアウトの考えや弱者を救うには…など考えるに十分な資料だと思います。



またもや、着地点を見失った感はありますが、まとまってなくてすみません。



10月20日~22日まで京都で日本移植学会総会が開催されています。

http://transp.jp/jst/html/program.html

一般の方や患者さんなどは1,000円の参加費です。

これに参加できていたら、上記の件も確認したかったな~と思いました。


帝王切開になる可能性が高まるとは思ってもいなかった時期には、参加できるかな~とか密かに思っていたのですが…さすがに今年は諦めました。


あと、10月24日に同じ京都になりますが、「第8回 あかちゃん こどもの死を考えるセミナー」も開催されます。

もちろん、諦めました。

http://www.sagaarashiyama-tanakaclinic.com/seminar/index.html

こちらも一般の方は1,000円の参加費になります。


書き途中の記事に小児の脳死について触れているものがあります。

出産前にアップできる様にと考えていますが、上手くまとめられる自信もなく…悪戦苦闘中です。


様々なご意見があると思います。

でも、私の思いを書きました。


社会には様々な意見や主張があり、だからこそ悩まれる当事者もいるわけです。

今を一生懸命に生きているのに、生きたいだけなのに、社会状況から与えられる悩みや苦悩。

生きたい。救いたい。救われたい。そういった立場にある方々が、それぞれの立場で自分達の存在を肯定しながら生きられること。

心から願っています。