法案が衆議院の本会議で採決されました。
傍聴できるとは思っていなかったのですが、温かいご配慮を頂きました。
また、その日は偶然、私たちは2人とも仕事が休みでした。
聡太郎が、その日を用意してくれていたのだと思い出かけました。
これから
参議院で採決されるのは来月でしょうか。
もし、解散総選挙となれば、また廃案となります。
参議院で採決されることを願っています。
修正がされることもあるので、見守りたいと思います。
衆議院で採決の結果が出た瞬間。
それまでは、1票1票が移植を受けられずに(移植を受けられた後に)亡くなられた子ども達の命の重さに感じました。そして、採決が終わりに近づく中、大きな一歩への希望を感じました。12年間の命と切なる願いの重みです。
また、基本的なことですが、選挙とは本当に大事なことと痛感致しました。
議員を選んでいるのは、私たちなのだと・・・。
同時に、
子どもを想う気持ちは同じなのに、立場が異なってしまった母として相手の方の想いを考えました。
今まで、移植を必要とする、移植が出来れば救えたかも知れない幼い命は日本国内では確実に救われませんでした。国内では希望すら持てませんでした。
移植を必要とする子どもも、提供に関わる立場の方も、誰も好きでそのような立場になっていません。
立場は異なっても、置かれている状況は同じようにも思います。
その両者が同じように権利を与えて頂ける法案が参議院でも結果として残りますように。
何回か聞かれた質問ですが、
「この法案が一年でも早く決まっていたら、聡太郎くんは救えていたと思いますか?」
私は、思いません。
絶対に聡太郎は戻ってこないです。
その現実は絶対に変えられません。
なので、何年前に採決されていたら聡太郎は・・・だなんて、悔しすぎて思いません。
聡太郎が二度と私たちの元に戻らないからこそ、他の方々には悔しい、辛い、そのような同じ思いをして欲しくなくて進んできた毎日です。
しかし、「救って頂きたかった。希望を国内で持たせて欲しかった。」とは、本気で思っています。
臓器移植法が改正されたら、これから1年間の準備期間をかけて実際的システムを準備していくと、言われています。
きっと、法が改正されても何年かは過渡期であり、小児の脳死下移植が急速に伸びるとは思いません。
だからこそ、混乱を招かないための法整備を求めます。
法が整備され、誰かが実際の現場を感じて、初めて得られる合意もあると思います。
私は、医療と現場にいる先生方を信じています。
そして、皆様から信じていただける医療の現場とシステムを望みます。
新聞を見ました。
ある記事で私の写真が載っていましたが、申し訳ないことに笑顔のものがありました。
その写真は記者会見後に聡太郎の募金活動をしている時からお世話になっていた記者さんと話をしている私でした。私にとって、生きていた聡太郎を写真に撮って記事にして下さった、生きていた聡太郎を知る方です。
その記者さんと個人的に別の話をしている瞬間の写真が、別の場所で掲載されたことに驚きました。いくらそのような背景であったとしても、そのような写真が掲載され、多くの方に不快な思いをさせてしまったのではないかと心から案じております。
気分を害された方も多くいらっしゃるのでは・・・と心から不安に感じております。
不快に感じられた方には、心からお詫び申し上げます。