命の輝きをみつめ、今もこの先も人生を楽しく元気に謳歌して欲しい。
と、子どもに対して思います。
でも、子どもを失った親の心には、常に恐怖心や心配が残るのだと思います。
元気が普通。 だったはずなのに・・・。
特に拡張型心筋症やその他の原因が不明とされている病気で子どもを失うと、それは恐怖心にはなっても、安心にはつながらない局面もあるかと思います。
上を見たらきりがなく、下を見て安心できるものではないので、また悩むかと思います。
自分達の事はどうでもよいが、遺された兄弟や、これから生まれてくる子どもは大丈夫なのだろうか・・・。
でも、私は思います。
大丈夫。
大丈夫でなくても、大丈夫。
一人目で本気で頑張ってきた自分がいて、これからも頑張るしかないから。
頑張るという表現は、一般的過ぎますが、頑張る以外の言葉が見つかりません。
一生懸命という言葉でも良いのかも知れませんし・・・すみません、語嚢が少なくて・・・。
よく、頑張りすぎるな・・・とも言いますが、
子どもが病気で命の危機に面している時こそ、頑張らなくてどうするんだとも思います。
そして、頑張ってきました。
私は聡太郎を失ってから、
もっともっと成長を見たかった。何よりも生きていて欲しかったという気持ちが一番ですが、それでも、病気の聡太郎を遺して自分が先に逝くよりも、聡太郎を最期に看取れた幸せはあったのかと思います。
(不幸の中での幸せ探しだったとしても・・・です。)
病気との生活は辛い思いを沢山させたと思います。
でも、聡太郎は一生懸命に生きました。
私の全人生を上回る速度と出会いと充実した内容だったのではないかと思います。
だから、遺された親は子どものことが心配だけど、
心配や恐怖心に支配されて生きて欲しくないと願っています。
ポ~ッとしてるわね
お顔がでっかく感じるわ!
心さんへ。
私には聡太郎しか子どもがいなかったので、まるっきり同じ気持ちでは寄り添えません。
でも、心さんなら大丈夫だと思っています。
だって、廉太くんの大好きなパパだもの。