先月末に義父が旅立ちました。

 

 

去年の12月に叔父も逝って

続けざまになりましたが。

 

 

義父は板前で頑固一徹の人で

まぁーワガママ

まぁーワガママ

(聞いている? じい(笑))

 

 

でも、それ以上に

ユーモアでチャーミングなところも沢山ありました。

感動屋で涙もろくて、天邪鬼で

おしゃべり好きで

思わずプッと笑っちゃう人でした。

顔は鬼瓦でしたが。👹

 

 

身体も大きく身長も180cmくらいで

手も足も顔も大きかったです。

 

 

ただ若い頃に片足を切断して

ずっと義足で仕事を続けていました。

 

 

かなり苦労もあったようですが、

人一倍の努力を重ねていったと思います。

すごいよねー。

 

 

めったに褒めないけど、

褒めてあげたよ !  じい。

 

 

本人は生前

苦しんで亡くなるのは嫌だなーって

ボヤいたことがありました。

「じいは大丈夫!  眠るように逝けるよ」 と答えましたが、

 

 

その通りに眠るように楽に逝けたと思います。

 

 

初めて会ったのは高校生で

最初は怖そうで頑固そうで大嫌いでした。

 

 

でも、寿司屋の手伝いをしていくうちに

少しずつ距離も縮まり
義父というよりも二人目の父になりました。

 

 

初めは言いたいことも言えず

遠慮していたのですが、

ある出来事で私が猛烈に怒り

「クソジジイ ! ! !」と3回叫んだこともあります。

それを聞いた時のじいのギョッとした顔。

あー。あの時はスッキリ気持ちよかったなー。

 

 

今でも思い出して笑ってしまいそうです。爆  笑

 

 

美味しいものに目がなく

よくお蕎麦だけを食べに

長野へ連れて行ってくれました。

 

 

そうそう。

新宿のちょっと高級な中華料理店も。

実はそこでちょっとしたアクシデントがあってアセアセ

 

 

お店に行くために

エレベーターに乗ったときのことでした。

 

 

結構、中は人でギュウギュウになっていたのですが、

足の悪いじいを

「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたり

スペースを開けてくれたりと

他の方達が気遣ってくれてました。

 

 

エレベーターを降りるときも

転ばないように

扉が閉まらないようにしてくれて

 

 

最後にお礼を言って

じいが降りた瞬間

ブォッっともの凄いおなら プー を中に発射し

エレベーターに残った人たちが

えっ?と真顔になった瞬間

無情にも扉が閉まるという

【密室おなら置き土産事件(新宿編)】を起こしてくれました。

 

 

中に取り残された方たち

臭すぎて地獄だったと思います。ゲロー

あの時はどうもすいませんでした。

 

 

よくケンカしたり、

よく出かけたり

美味しいものを食べさせてくれたり

冗談を言い合ったり

いろいろな思い出を残してくれました。

 

 

最後の日は

ほぼ意識のない中で

私の顔を見て(もう目は見えていなかったと思います)

一生懸命、手を握ろうとしてくれました。

話すことは出来ませんでしたが、

「お母さんのこと頼むな。

子供3人で頑張っていけ!」と言われた気がして

「心配いらないよ」と答えました。

 

 

そして

「大丈夫。大丈夫。

怖いことないから。

楽に行きな」と何度も耳元で言いました。

 

 

最後のセラピーもしました。

頭を撫でながら光を体中に満たすと

白い竜がじいの身体の上の天井近くで

グルグルゆったりと回っていました。

 

 

向こうの世界へ橋渡しをしてくれたと思います。

 

 

お葬式が終わっても

じいはあまり姿を現してくれません。

 

 

生前、不自由な身体でしたから

今は自由になった魂で

あちこち行きたいところに

飛んで行っているようです。

 

 

もう、あの店に響くくらいの大きな声が聞けないのと

ペチペチとはたくおでこがないのは

(よく姉と冗談を言ったときに一緒にはたいていました。

本人は嫌がる素振りもなく、目をつむってウェルカム状態でした)

寂しいですが、

来世で会うか、私が死んだときに来てくれるか

また必ず会えると思います。

 

 

じい、お疲れ様でした。

色々な思い出をありがとう。

また会おうね。