さぁ。
ここまでくると、さすがにどこを抜粋していいのやら・・・
全部の文章が抜くことができない気がしてきます汗


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、ひとつはっきりさせておこう。

あなたはつねに「神性」に浸されている。たったいまもそうだ。
それどころか、あなたは、「神性」なのだ。
「神性」であり、「神性」に浸され、「神性」そのものを
「神性」の個別化された側面である自分として表現している。

したがって、あなたは真の意味では「わが家」への帰り道に
いるのではない。すでに「わが家」にいる。
じつはあなたは、自分が行きたがっているところにもういるのだよ。

そして驚くべき秘密とは、そのことを知ったとたんに体験できるということだ。

ニール/
なんだか、同じところをぐるぐる回っているみたいな気がしてきました。
この対話はぐるぐる回っていませんか。
まるで、自分が夢中歩行者で、それに気づいていないみたいだ。


この対話ではなくて、あなたの人生がそうなのだよ。
生きているとき---死ぬときも同じだが---びくびくと不安に
おののいてふるえ、あきらめたくない、まだ終わっていない、
これからの自分の人生/生命に何が起こるのか、自分は
どうなるのか怖いと思うのなら、それは自分がどこにいるのかを
知らないということを表している。

ここで問題なのは、あなたが表していることはあなたの体験になることだ。
いままでもそうだったし、これからもそうだよ。
だから、あなたは「神性」とひとつであることを体験せず、実際にはすでに「わが家」にいても、「神とともにあるわが家」にいる体験はしないだろう。

ニール/
信じていただけるかわかりませんが、理解しようと努力しているんです。
対話の進行が速すぎるし、非常に複雑だけれど・・・
そうなんだろうなとわかっていました・・・
でも、本当に努力しているんですよ。


よろしい。
では努力を続けてついてきなさい。
あなたはもうすべてを知っいる。
わたしはただ思い出させてあげているだけだ。
あなたは「神性」を目指す旅の途上にいるのではなく、
進むにつれてさらに多くの「神性」を経験する、永遠のプロセスの
さなかにいる。人生 / 生命が続くに連れて、「真の自分の核心」を
真のあなたの「本質」をもっともっと体験するだろう。

あなたは永遠にその「本質」と融合(merge)している。
そして、人生 / 生命のプロセスの一環として、そこからふたたび
現れ、(emerge)、その表現を新たにする。
このエネルギーの融合(energy merging)とも呼ぶべきプロセスが、
すべての人生 / 生命の公式だよ。こう書くこともできるね。
----- e+merging と。
だからこそ、ときにはこれが霊的な緊急時(emergenc-y)だと言われる。
これが死と、死にゆくことに関するすべてだ。
「死とは緊急時」だ。なぜなら、死にゆくこと(dying)ではなくて、
融合し(merging)、現れる(emerging)ことなのだから。

ニール/
それじゃ、わたしは「神性」と完全に一体になるだけではなく、
そこから現れるというんですか?


そうだよ。

ニール/ 
それは輪廻転生の話ですか?


そういう言い方もあるね。

ニール/
やれやれ、またか。


これはとても一行や一語で言い表せはしない。
そこを理解することが大切たせと思うがね。
しかし、辛抱強く聞く気があるなら、決してあなたの理解を
超えているわけではないとわかるだろう。

ニール/
この対話、この「祈り」が自分の中の深部にある答えに、
真実に戻る手がかりになればいいと思っています。

けっこう。この体験がその道に導くことは可能だ。
しかし、いままで何度もくり返したように、あなたは自分でそこに行かなくてはいけない。あなたに「わが家」への道を示してあげることはできるが、あなた自身が「わが家」への道をたどらなければならない。

以前にも言ったが、真の意味ではあなたは旅の途上にいるのではない。あなたがつねに、行きたがっているところにいる。だが、それを知らないから、自分が旅の途上にいるという体験をする。だから、旅は必要なかったということを発見する旅をしなければならない。道のはじまりと終わりは、つねにいまあなたがいるところだ、ということを発見する旅に出なくてはならないのだよ。

ニール/
さきほどの言葉ですが、このテーマについていままでおっしゃった
ことのなかでも、特にあの言葉が、生と死についてのわたしの
真実に導いてくれると思いたいのです。
どうしたらそう確信できるでしょうか?


さっきの言葉に同意しなければ、あなたの真実に導かれないわけ
でもないよ。

ニール/
そうじゃないんですか?

そうではない。さっきの言葉に全く同意できなくても、あなたはあなたの真実に導かれるだろう---「わが家」にもどる道を見つけるだろうよ。なぜなら、ここで語られる言葉に同意しないのなら、ほかの何に同意できるかがわかり、別の道をとるだろうから。もしその道もあなたの道でないとしたら、また別の道、さらに別の道と、混乱から抜け出て「わが家」にもどる道---神へ帰る道---を見つけるまで道を探すだろう。

ニール/
そうやってすべてがちゃんとうまくいくってことでしょうか。

そう。そうやってすべてがうまくいく。あなたの人生 / 生命全体が、
あなたを「わが家」へ、「わたし」へと導く。
だからすべての出来事、すべてのひと、すべての瞬間を祝いなさい。どれも聖らかなのだから。ある出来事に同意できなくても、あるひとが嫌いでも、ある瞬間を楽しめなくても、すべては聖らかだ。

生命は生命というプロセスを通して、生命についての情報を生命に伝えているのだし、あなた「自身」について「生命 / 人生」が語ることを知って体験するほど聖らかなことはないのだから。

だから、たとえあなたが同意できなくても、この対話はあなたの真実へ「わが家」への帰り道へとあなたを導くだろう。また、この対話に同意しても、やはり帰り道に導かれるだろうね。
どちらにしても、この対話は、あなたが行きたがっているところに連れていってくれる。

二ール/
すべての道は「わが家」に通じている。

そう、ひとつ残らず、すべての道が。

二ール/ 
それぞれの道にはそれぞれ、目的地がわかるようにと「木につけたしるし」があるんですね。


そのとおり。どうやら、わかってきたようだね。すべては、あなたが木につけたしるしだ。見まわしてごらん。ここには、あなたが置いたものではないものは何ひとつない。
だが、自分がつけたしるしだとわからないこともあるだろう。違う方向から見たら、違って見えるだろうね。誰か別の人がそこに置いたように見えるかもしれない。

もちろん、いま話しているのはあなたの人生についたしるし---とくにあなたが傷痕と呼ぶもの---のことだ。その傷跡は誰かにつけられたと考えがちだから、注意しなさい。そう考えるとあなたは被害者になり、誰かが悪人になる。

しかし、以前にも話したように人生/生命には被害者も悪人もいない。そのことを忘れないように。


二ール/
わたしのすばらしい友人でもあるエリザベス・キューブラー--ロスがよく、こう言っていました。わたしはこの言葉が大好きなんです。
「渓谷を覆って嵐から守ったら、嵐が刻む見事な渓谷美は決して見られない」

そうだね。 前にわたしが、人生 / 生命のすべてはすばらしいし、「死」もすばらしいと言ったのは、そのことだよ。すべては視点に左右される。視点が認識を創る。

二ール/
そうですね。


いやいや、「そうですね」などと簡単にすましてはいけない。さっきの最後の言葉をもっとよく考えてごらん。もっと深く見つめてごらん。これはわたしが語る言葉のなかでも、最も重要な言葉のひとつだ。

わたしはこう言った---視点が認識を創る

二ール/
どういう見方をするかで、何が見えるかが決まる。


そう、そのとおり。うまい言い方だ。ありがとう。
だから自分を被害者としてみれば、被害者の自分が見える。悪人としてみれば、悪人の自分が見えるだろう。協力的なプロセスの共同創造者としてみれば、そういう自分もみえるんだよ。

人生のすべての出来事を---死をも含めて---贈り物としてみれば、いつも自分のために役立ち、喜びに導いてくれる宝物がみえるだろう。

死をも含め、どんな出来事でも悲劇としてみるなら、あなたは永遠に嘆きつづけるだろうし、終わりのない悲しみしか受け取れない。

そこで----

【死は決して悲劇ではない。
死は常に贈り物である。】





ペタしてね