新しくて面白い音楽はどうやってこれからは生まれさせることが出来るか?という話を夫とたまにします。

誰かの曲を聴いた時にそれは又別の誰かに似ていたり、どこかで聞きつくしたものの焼きまわしであるように感じられることが良くあります。


凄く才能のある人の作ったものに影響を受けて、似るのは悪いことではありません。

何事も模倣から始まるともいいますし、優れたものは魅力的なのでみんなが強く影響を受けるようになっているのだと思います。


でも、そのまま満足してしまうと面白いものはどこからも出てこないということになります。きっと本人も満足しなくなり壁に当たってしまうかもしまうかもしれません。

歌い方一つとっても例えばAさんは知名度のあるBさんを凄く敬愛しているのだろうなということが分かってしまうことがあります。

Aさんのオリジナル曲でもBさんに似ているからです。


ではBさんがオリジナリティーがあるかといえば、そうでもなくてやはり一世代前の時代を作ったCさんの行ったことをなぞっていたりします。

B さんは影響を受けたと思っていないかもしれないけれど例えば40年前にはなかったような歌唱方法が、ある個性的な人が出てきたことにより常識に数えられるようになります。

新しいものは吸引力があるので、その流れで多くの人が影響を受けて安易に自分の歌唱法に自然に取り入れてしまう(仮説)。



そして、例えばROCKならROCKの歌はこういう感じで歌うものみたいなセオリーが出来上がってしまう。

自然に自分は内部から出てきたものを表現しているつもりでも、世の中は影響し合っているし、誰かが行ったことの組み合わせで出来上がります。

その土台が作られた時に生まれてくる次の世代ならば昔のことなんて興味がありません。もうすでに孫世代ですから。

音楽もしかり、余程意図的に工夫しないと自分では自分の音楽だと思っていてもなかなか新しいオリジナリティは生み出せません。

オリジナリティとまで言わなくても新しい感じを人に与えられません。

もっと言えば新しい感じを与えられなくてもいいけれど、何々に似ているとわかってしまう。これは演奏している本人も避けたいところなのではないかなと思います。

先に出た Cさんですがその方も海外の有名なバンドからそっくり影響を受けていてそれを上手に模倣して新作品として出せる才能があったのだと思います。

それは別に悪いことではありません。
では、なにが言いたいかというと


そういった流れを知り、わかっていて楽曲に取り組むのと、意図せず取り組むのとでは結果が違うということです。

自分が聴いてきた音楽のみを頼りに、自分のやりたいことをなぞらえてやるのと、そうでないのとでは意識が違う。

同じことの繰り返しをして楽しめればいいのか、もう既に世の中に出回っているものと似ているのは嫌なのか、それも人によると思います。

意図しない人は大抵狭い範囲の音楽しか聴きません。それでいいと信じているからです。


J-popのあるジャンルに属するミュージシャン群を少しだけ研究したことがありますが、驚くほど自ら聴く音楽の範囲がとても狭いものでした。

影響を受けた音楽を調べると「俺たちロッカーだぜ」と言いそうな人たちにも関わらず、日本の一世代前の知名度のある先輩たちの持ち曲のみを聴いて育ったらしいことが判りました。

ということは好きなミュージシャンも日本人の名前のみが上がります。

憧れの人は何人持っても自由なのに、側にいる人のみの中から律儀に対象を見つけてそれ以上を探そうとしない傾向を見つけました。

その先人達も、意図的に聴くものを増やして引き出しを多く持つ工夫をしているようには余り思えませんでした。
たまに自分の技術をあげたくて熱心に幅広く聴いている人もいるにはいますが。

(この時私は思いました。憧れられる人がごく普通のこととして世界に目を向けていて、事あるごとにインタビューなどで自分が感銘を受けたミュージシャンなどを語れば、次世代はその方法を真似するのではないかな?と。だって憧れの人のいう事ですから。こういう広げ方をする方法もあると学ぶと思うのです。

憧れられる人がそれをしてなければ、次世代は誰にも教えてもらえませんよね。狭い範囲から模倣をチョイスするのが主流だと思うでしょう。)


なぜ、このようなことになるのかと考えたらロックにせよポップスにせよミュージシャンが側にあるものをこなせば、普通の曲は弾けるし作れます。つまり練習すれば演奏できます。

曲を演奏できるということはそれはやはり楽しいことなので、自分たちが出来上がったような気分になるのも早いです。
(それでも、そこに行くまでのある基準以上の生みの苦しみなどは除く)

形になるのだから、それ以上、それ以外のことには手を出さないということなのかなと思いました。

ある一定の形は完成させられるから。それよりどんどん早くライブをしたいし、ヴィジュアル作りや実績作りに余念がなくて必要ないと思われる音楽を聴く暇はない。



ミュージシャンなのに。シンガーなのに。。。



一ミュージシャンとしての広さ深さというより、あるジャンルに傾倒していてそれに見合った内容をプレイ出来れば良しという考えもありますね。

それが自分たちのやりたいことだからというのも良く耳にします。良くわかります。私もかつてそんなことを思っていましたから。

それでも
沢山のものを見て聴いた上で好きな曲を書こうとするのと、最初から範囲を限定するのとでは出せるものが違います。情報量がちがうからです。

たとえ、自由な感じのするROCKの世界であってもです。
(これは自分に言っています。私が出来ているのじゃないですよ)
(誤解があってはいけないので書きますが、大昔のロックの歴史を作った方達を凄いと思います。その音楽も好きです。)


なんで今日、こんな記事を一生懸命書いたのかなと考えました。

同じ事の繰り返しではなくて、新しくて面白くて次世代に残る作品を作れるのはこの記事を読んでくれる貴方かもしれないと思うからです。

いい曲を書きたいと彼らは口を揃えて言います。上手くなりたいともみんな思います。でも、ジャンルを問わず源流から聞いてみたり、シンガーなら古いソウルやジャズ、フォークの巨人達から全員が学ぼうとするわけではありません。

オリジナリティーがないと残したくても残らないので残念な人を沢山見てきたためお伝えできたらいいなと私はおもったのです。

バッハやモーツァルトの曲が今でも愛されているのは、やはり曲がいいからなのではないでしょうか。価値のあるものは残るんですね。

古いのがいけないのじゃなくて、温故知新。古いものの中に答えが見つかるかもしれません。
狭いのがだめなのじゃなくて、その範囲も広い中に含まれていますよということです。



読んでくださってありがとうございます
感謝もうしあげます