ノーベルの遺言を
見間違ってはならない
現代社会はその価値を
見いだせているのか?...
 
ノーベル賞この本当のあるべき姿が
権力によって歪められている
当然出てくるあちら側の勢力
 
 
 

ノーベルの遺言

 

アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言

http://contest.japias.jp/tqj2002/50218/nthewill.htm

 

署名者アルフレッド・バルンハート・ノーベルは、以下が私の死の時点において私によって遺言される財産に関する最後の遺言であることを、熟慮の上、ここに表明する。

 

(以下中略)

 

残りの換金可能な私の全財産は、以下の方法で処理されなくてはならない。----私の遺言執行者によって安全な有価証券に投資された資本で持って基金を設立し、その利子は、毎年、その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする。この利子は、五等分され、以下のように配分される。

 

----

 

 一部は、物理学の分野で最も重要な発見または発明をした人物に、一部は、最も重要な化学上の発見または改良をなした人物に、一部は、生理学または医学の領域で最も重要な発見した人物に、一部は、文学の分野で理想主義的傾向の最も優れた作品を創作した人物に、そして一部は、国家間の有効、軍隊の廃止または、削減、及び平和会議の開催や推進のために最大もしくは最善の仕事をした人物に。

 

物理学賞及び科学賞はスウェーデン科学アカデミーによって、生理・医学賞はストックホルムのカロリンスカ研究所によって、文学賞はストックホルムのアカデミーによって、そして平和賞は、ノルウェー国会が選出する五人の委員会によって、それぞれ授与されなくてはならない。

 

賞を与えるに当たっては、候補者の国籍は一切考慮されてはならず、スカンジナビア人であろうとなかろうと、もっともふさわしい人物が受賞しなくてはならないというのが、私の特に明示する希望である。

 

私の遺言による処分の執行者として、私はここに、

ラグナール・ソールマン氏とルドルフ・リエクヴィスト氏を指名する。

 

(以下中略)

 

この遺言状は、現在までの唯一有効のものであり、私の死後、

万が一私の以前の遺言が存在したとしても

それらの全てを無効にするものである。

 

最後に、私の死後、私の静脈が切開され、

そして切開が終了し有能な意思が明らかな死の徴候を確認したときに、

 

私の遺体はいわゆる火葬で葬られるというのが、

私の特に明示する希望である。

 

1895年11月27日 於パリ

アルフレッド・バルンハート・ノーベル

矢野暢著「ノーベル賞」中公新書より一部引用

 

ノーベル賞―二十世紀の普遍言語

 

 

 

 
ノーベル賞の名が付く本には、2つの種類がある。
 
ノーベル賞を軸にして別のテーマを紹介する本と、
ノーベル賞そのものをテーマにする本だ
(後者のほうが数は少ない)。
 
この『ノーベル賞』という本は後者に入る。
 
ノーベル賞がどのような成り立ちをしているのか、
なぜノーベル賞(とくに科学三賞)が世界中の他の賞とは
 
比べものにならない絶対的価値をもっているのか、
といったことが詳しく書かれている。
 
ノーベル賞そのものを紹介した新書の類の中では、
この本がもっとも詳しくノーベル賞の実体を書いていると思う。
 
驚いたのは、賞金などの資金の調達が、
株式への投機のようないわば
“財テク”で行われているということだ。
 
ノーベル財団の方々は毎年、身を削る思いで
資産運用に東奔西走しているのだという。
 
また、ノーベル賞の異端「経済学賞」についても
その位置づけが書かれている。
 
経済学賞は他の賞とちがい、
アルフレッド・ノーベルの遺言に書かれなかったものだ。
 
経済学賞は
「アルフレッド・ノーベルを記念する経済学に対する
スウェーデン国立銀行賞」として、
 
スウェーデン銀行の設立300年を記念して
1968年に新設されたものなのだ。
 
経済学賞が事実上ノーベル賞の一部門となった経緯や、
その後いっさいの新分野の賞を設けない
ノーベル財団の姿勢などが詳しく書かれてある。

なによりこの本の価値を高めたのは、
著者みずからがノーベル賞の制度に
とても近い存在であったということだ。
 
著者は1981年の福井博士や
1987年の利根川博士の授賞式に出席している。
 
その後も、毎年のようにノーベル賞の本拠地を訪れ、
本の刊行当時ノーベル財団の要人だった人々とも
交流があったそうだ。
 
現地発の話がとても多く、
12月10日の授賞式前後の街の
あわただしさもよく伝わってきた。
 
なおこの著者は、諸事情により
人生の後半は憂き目に遭い、
 
いまはすでに
お亡くなりになっているそうだ。
 
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2016年のノーベル医学・生理学賞を
単独受賞した大隅博士のような逸材が
まだまだ日本に大勢埋もれているのではないか
新ベンチャー革命2016102日 No.1501
 
1.2016年ノーベル医学・生理学賞を受賞した
大隅博士はポストで苦労されたようだ
 
2016年のノーベル医学・生理学賞の受賞者に世界の研究者の中から、
日本の大隅博士が選ばれました、しかも単独受賞の快挙です(注1)
 
受賞理由はオートファジーとのことですが、筆者は個人的に、
恥ずかしながら初めて聞いた言葉でした。
 
マクロファージは有名ですが、
専門外の人にはあまり馴染みのない言葉です。
 
筆者は個人的に東大卒ですが、
大隅先生も東大卒とのことだったので、
てっきり元東大教授だったのかと思っていました。
 
ところが、同博士の経歴は
実に多彩でした(注2)
 
大隅博士はご自分の研究生活維持以前に、
人間として生きて行くための
ポスト探しに苦労された形跡がみられます。
 
大隅博士の場合、いくつかの組織を
転々とする逆境の研究環境にて、
 
ノーベル賞を単独受賞するほどの
偉大な研究成果を上げるのは
至難の業だったのではないでしょうか。
 
2.理科Ⅱ類から東大教養学部に
進学したのがいけなかったのか
 
大隅博士は東大の理科Ⅱ類に入学していますが、
当時の理科Ⅱ類の学生は農学部か薬学部に進学していました。
 
ところが同博士は新しくできた教養学部(駒場)の基礎科学科に進学してそこを卒業したため、その後の行先が定まらなくなって、結局、本郷の理学部大学院に進んでいます。
 
そして東大理学部大学院で博士号を取得した後、東大で教職に就いていますが、結局、理学部でのポストにありつけず、自分が卒業した教養学部の助教授になっています。
 
東大では、どこの学部、どこの学科を卒業したかが重要で、大隅先生の場合、卒業時の学部が理学部ではなかったため、理学部の助教授にはなれなかった可能性があります。
 
同期では、理学部卒の人が
優先的に理学部に残れるからです。
 
こうして、大隅先生は東大教授になれず、ポストを求めて、
いろんな箇所を転々としています。
そして今、東工大に研究拠点を置いています。
 
3.逆境の研究生活が偉大な研究成果をもたらしたのか
 
大隅博士は生活のためのポスト獲得で、人一倍、苦労したと想像されますが、その逆境を研究のバネに換えて、日夜、努力されたのではないでしょうか。
 
研究資金も多くなかったでしょうし、研究スタッフも十分、獲得できなかったでしょうが、そのような厳しい環境で、世界的に評価される研究業績を残すことは至難です。
 
にもかかわらず、研究者によっては逆境の方が、
むしろ良い研究成果を出す場合もあります。
 
大隅博士の場合にはまさにそれがピッタリ当てはまります。大隅博士が東大理学部教授になっていたら、案外、ノーベル賞はもらえなかったかもしれません。
 
なぜなら、研究環境が逆境ではなくなるからです。
 
日本の研究界にはこのような逸材が
まだまだ大勢、埋もれているような気がします。
 
 
注1:NHK News Web
ノーベル医学・生理学賞 大隅良典さん”
2016104
 
注2:大隅良典
 
 
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コメント
 
科学者や有識者のみなさん
あなた達の知恵は
なんの為に存在するのだろうか?
 
正しく使ってほしい...
権力の道具になる為に
 
研究して来たわけでは
無いはずだ。
 
人類はもう気づきだしてる
良識ある者がこのノーベルの遺言を
守って欲しいものです。
 
 
 
 
 
 
 

 

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