東儀真由美 が漏らした天皇家の秘密
投稿者:無尽蔵
投稿日:2007年10月27日(土)09時14分48秒 p2022-
http://8509.teacup.com/kojima/bbs/323  


宮内庁楽部・名家13代目夫人が漏らした天皇家の秘密
東儀真由美 が明かした天皇家の秘密とは?

愛子さまビックリ!?
あの東儀秀樹も困惑

愛子の母は天皇ではなく
民間の橋本の娘でと話すのはほんとの話。

顔の形に似ている橋本龍太郎の祖顔は娘だからか?
かなり不明瞭なまま放置され続けている。

天皇陛下は1と2を公開させたく無い為、
外国と戦争をしたがるのです。

したがって、公開してしまえば、
日本は戦争する必要が無くなるのです。

公開する勇気が有りそうに有りません。

他の国会議員にも、
公開する勇気は無いでしょう。

ポスト安倍に、誰も名乗り出ないのが、その証拠です。
公開する時は、日本と戦争する直前に成るからです。

この章を書く事によって、
皇室内部から、自殺者が出るかも知れません。

天皇家の秘密 ・・・
天皇家のイスラエル性フリーメイソン

宮内庁楽部・名家13代目夫人が漏らしていた 「天皇家の秘密」

橋本龍太郎の出自
「龍太郎の父龍伍は橋本卯太郎と大室ヨネの間の子である」との事。
(橋本龍伍の戸籍) 大室ヨネは大室寅之祐の弟庄吉の娘であるから、
橋本龍太郎は明治天皇(従って今の皇室)と同じ家系と主張する
ことになる。

山口県田布施町の大室さん

橋本龍太郎氏の祖母大室ヨネ(米)
(橋本龍伍の戸籍謄本より)の父大室庄吉の兄
大室寅之祐(東京明治天皇)

田布施町のタブーについて(この事)
(大室寅之祐について)は、

田布施町麻郷の古い人間なら
500%知っている事実で、

佐藤栄作、岸信介すら
わかっていた大室家(後の大室家)は

1794年から始まり、頼山陽によって、
大室家の家系図が整備された。

文政時代に初代大室家当主が死去。

大室寅之祐が地家作蔵の息子で
行方知れずになる1866年7月頃迄

戸籍名大室寅吉(通名(普段使う名前)は
大室虎吉)(とらきち)である事も判った。

大室近祐がワカルといってもせいぜい
1863~1867年頃迄であろう。

だから大室家が光親親王(1400~)から
23代500年以上も継続してるとは嘘である。
(500年以上も前の話等分かる訳無い)

本当の所は、苗字も無い作蔵と興正寺基子(SUEKO)
=スヘ(1831年5月1日~1855年11月20日)が
結婚した年は1846年5月頃でスヘ15歳の時である

作蔵(1824年?~1887年5月頃?)と結婚し、
1年後、スヘ16歳の5月頃、
長女(1847年4月14日生まれ)を出産した。

1850年1月10日
(戸籍では庄吉の誕生日になっている)に
寅吉(普段使う通名は虎吉,後の大室寅之祐)を出産。

この頃(1849年頃)作蔵が
西円寺の東隣の麻郷「地家」に家を建てる。
だから「地家」の地名を苗字にした。

(大室寅介とは庄吉のことで、寅介の名前で奇兵隊に参加)

新撰組が長州の不良力士達を
殺害する事件があったのは慶応3年10月29日。

下鴨神社蔵の「神楽勧請録」の慶応3年の記録には、
「大室虎助(16)(中略)等、
同年10月29日、新撰組ガ為二被害」とあり

新撰組側の記録にも
「(慶応3年11月)先日、長州の不逞力士5人を誅す

本当は虎助が殺されただけ。
田中光顕が三浦天皇に語った萩生まれの玉とは
虎助のこと。

庄吉も寅吉も田布施町麻郷生まれ
(大室寅助とは行方知れずになってからの
大室寅之祐(寅吉)のことで、スヘ(基子)と

大室弥兵衛の間の2歳弱で死んだ
大室家の血統の寅助になりすましたわけ。

(庄吉も寅吉も作蔵とスヘの間の子で連れ子だから。)

そこへ
伊藤博文が麻郷の大室家に
遊びに来たとは、実は革命の相談にきた。