「たま村」が示す、新しい時代の共同体のかたち
私がずっと感じてきたことがある。
それは「たま村は、私が何かをしないほうが動き出す」という不思議な現象だ。
誰かが中心に立ち、誰かが教え、誰かが引っ張る——
そんな従来型のコミュニティとはまったく違う。
たま村は、
私が手を離した瞬間に、もっとも美しく循環する。
そして、メンバー同士が自走し始める。
これは偶然ではない。
むしろ、この時代に必要とされる“新しい共同体の形”だと、私は思う。
中心を置かないコミュニティは、縛らず、依存を生まない
これまでの時代の共同体は、
“中心人物”が存在し、その人の言葉や思想に依存する構造が当たり前だった。
けれど、たま村は違う。
誰かが中心に君臨するのではなく、
中心が“空(ゼロ)”のまま保たれている。
だからこそ、
- 誰も支配されない
- 誰も依存しない
- 誰も無理に引っ張られない
その空白が、メンバー一人ひとりの自由と創造性を引き出していく。
「主催者がいなくても動く場」こそ、生命体に近い
私が動けば動くほど、逆に動きづらくなる。
私が一歩引くと、自然に芽が出る。
これは矛盾でも不思議でもなく、
“生命体としての共同体”が持つ自然な振る舞い だ。
生態系は、誰かが支配して動いているわけではない。
それぞれが自分の性質で動き、
結果として森や川が調和するように。
たま村は人工的に作ったコミュニティではなく、
“磁場”として生まれた場。
だから、主催者である私は中心に座らなくていいし、むしろ座らないほうがいい。
共鳴でつながる時代は、上下も指導もいらない
これからの時代、人はもう
「教わる/従う」では動けなくなる。
かわりに必要なのは、
- “共鳴する方向”が同じかどうか
- その人がその場で“大切にされる”かどうか
- 自分の感性が発揮できるかどうか
たま村はこの原理で動いている。
誰かを引き上げる必要も、導く必要もない。
一人ひとりが、内側の衝動に従って動くだけで
勝手に循環が起こる。
これは集合意識の新しいかたちであり、
「上下のない共同体」 の実践でもある。
私はひとりで進む。だからこそ場が広がる。
私は村の中心に留まる必要はない。
むしろ私は“個として前へ進むこと”が役目だ。
私が個として進めば進むほど、
たま村全体の地平が自然に広がっていく。
誰かを待つ必要はなく、
みんなで足並みをそろえる必要もない。
それぞれが「自分の速度で育つ場」だからこそ、
私の速度もまた自由でいられる。
たま村は、新時代の“分散型共同体”のプロトタイプ
これはただの集まりではなく、
水瓶座の時代における共同体のモデルケース だと感じている。
- 中心にリーダーを置かない
- 誰も依存しない
- 自分のペースで動く
- 個人が自由である
- 自走する
- 必要なときだけ自然に集まる
これはまるで Web3 や DEX の思想に近い。
「中央に権力を置かない構造」が最も健全に機能する。
たま村は、その“人間版”のような場だ。
こちらの動画は、たま村のメンバーさんの、体の専門家のお二人が
コラボして、お話を撮り続けています。
そのお話の動画を、伝わりやすく、みやすいように、今度は動画編集の得意な
他のメンバーさんが、とても素敵に編集してくれて、出来上がった動画。
全てはメンバーさん同士が、自主的に行っていることで私は全く関与していません。
本当に素敵な循環が起こってる!✨
とてもいいお話なので、ぜひ見てみてください☺️





