詰碁の目的なんだが、手筋の習得以外に配石の記憶だと勝手に考えている。

だれだって、碁盤に石を置いて考えれば詰碁は簡単だけどこれでは意味がない。
なぜ長い手順が読めないかは、結局どこに石があるのか覚えられないからだ。
詰碁をやっておくと、その記憶ができるようになる。

これはあらゆる面で便利である。
単純に読む場合もそうだし、読んだ後の形勢判断ができるようになる。
あるいはヨセの計算ができるようになったりする。

初段ぐらいの人に採譜することを勧めているが、これも配石の記憶にとても役に立つ。

「呉清源師が読みを鍛えるにはシチョウを読むのがよい」と言っていたとかいないとか。
これなんかは完全に手筋よりも配石の記憶が主目的になっている。

最近は電車の中で詰碁を解いているが、なるべく本なしで読むようにしている。
疲れるけどね。

頭の中に碁盤があるという、プロ棋士の境地には程遠いが…


そういえば白江治彦さんの著書に
「院生やプロはタイルやビルの窓などを碁盤に見立ててて考えることはお手の物」と書いていたが
その当時に比較すると現代のプロ棋士はかなり強くなったんだろうなあと思う。
日本のプロも捨てたもんじゃない。
国際棋戦で復活する日を信じている。