「生老病死」というようにこの世にを享けた者はいる事とむ事、

そしてを迎える事は運命として受け入れなければなりません。

 

災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候、

死ぬ時節には死ぬがよく候

 

良寛和尚 のように達観・諦観は中々出来ないものですが、

すべき事を果たした後は天命を受け入れる事が安息を得る唯一の術

でしょう。

健康法とは弱者の方便。

治療法とは限り有る寿命の持ち時間を少しでも健やかに過ごす知識。

医学とは弱者のための智慧なのです。

中には生まれつき壮健な人も居て、そんな人には健康法も治療法も医学も必要無い。

弱者からすると羨ましくもあるのですが

「同病相哀れむ」と云う様に弱者に優しくなれるのも他人の痛みの判る弱者

だったりします。

時折り受療される方の中に

「治療費払ったんだから治らなかったら(治せなかったら)詐欺のような

モノだろうー」

と仰られる方があります。あるいは

「此処に通ったら治りますか?」

こういった方は何処かには必ず自分の気に入るモノが存在し、

お金さえ出せば何でも手に入るハズと考えるのでしょう。

代償を求めるのは一見正しい行為に思えるのですが

根底にある 依存心 が強過ぎるコトに気付いていないのです。

そんな方には

「ならばとにかく黙って三ヶ月通えますか?」

「お薬を飲まれるように毎日お家でもお灸をすえてくれますか?」

と申し上げます。

有名学習塾に授業料を払えば志望校に合格するのではなく

其処で一所懸命学んだ者が結果を手にするのです。

生きる事に主体性を持つと何時しか迎えた結果をそのまま受け入れられる

ようになるのだろうと考えます。

病や怪我を治すのは自分自身である。

そのことに気付く事が主体的に生きるということ。

オカダ壮快堂は患者様が健やかになられるお手伝いをしたいと考えます。