せん日記

せん日記

日常の気づきや旅の記録などを更新予定。意識の進化についても気が向いたら書いていきます。

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最近の個人的なことを、
少しフワっとさせながら、

備忘録的に、
今回は記事として残したいと思います。

このカラダのことだけを自分だと考えてしまう、
もしくはそう考えている、という人は少なくないと思う。

もちろんそれをしたからといって、
すぐに歪が生まれるわけではないし、
裁くようなことでもない。

だけど、そのままでいると、
見えないところでは、
徐々にズレが進んでいってしまうのを感じる。
ホントに見えないところ、数ミリ単位で。

そんな経験をした時に、どんな無意識に同化をしていたのか、
気がつくとスっとズレが消えて勝手に補正される。

その同化はたいていの場合、思い込みだけれども、
その思い込みが無意識レベルで何重にも重なっていた場合、
それを解くのは簡単なことではありません。

例えばの話。
日常にわりと不満はないし、
家族もいるし、
寂しくないと思っていたけど、

異常に人とつながろうとする人、
誰かと一緒にいたがる人、
つまり寂しいんだな、と感じる人に立て続けに出会ったとする。

そんな人に会った時、
その人を自分と切り離して考えて
しまいがちだけど、

相手と自分の間の位置に自分の
意識を置くと、見えてくることがある。


それは「私が本当は寂しかったのか」
もしくは「あれ、私が寂しいのか」、
という小さな気づき。


その寂しさを軽く受け流すのではなく、
何とかしようとするわけでもなく、
誰かとコンタクトして
少しの寂しさを紛らそうとするのでもなく、


ジーっと一人で感じきって、


いい歳して寂しいとか、
そんなこと思う自分ダサイ、とか考えずに


「寂しかったんだね」
「そうか、寂しかったのか」
と抱きしめるような
気持ちでいると、見えてくることがある。

それは、自分の親父や祖父さん、
その母親だったりが、全く同じような感情を
体験していたかもしれない、ということ。


いくつか世代を溯ると、当然もういないから、
実際にそういう思いをしていたのか、確認する手段はないけど、


80歳を越える親戚にあって、
先祖の話を聞いたりしていると、
今の私と同じような気持を体験していたのかもしれない、
いや、きっとしていたんだろうなと思えたりする。


天蓋孤独だったお祖父さんとか、
妾の子供としていじめられてた祖母とか、

たくさん子供産んだのに、幼くして亡くなったり、
明治までは神主で人が集まる環境だったのに、
神社こわされちゃって商人になったとか、
色々情報が入ってくるから。


最近とある知人が、
こんなことを言ってきた。


「最近古い本が好きで、500年とか1000年とか、
もっと前の人に関する本を読んでいて、
参考になるって思う。でも参考になるってことは今も昔も、
同じようなことで人間は悩むってことだよね」


ちょうど、先祖も同じ思いをしていたのだろうな、
と感じていた時だったのでけっこうピンときた。

そんな風にちょっと自分のルーツとか、
先祖の感情や体験について考えていると、

たまに実家に戻って仏壇に手を合わせる時、
諸々の命をつないでくれた先祖に、
心から「色々大変だったね」と思えたりする。

そうしていると身体がお腹のあたりから、ポカポカして、
急に光が差してきたりするわけだから、

個人的な「思い」「感情」とか、日常で感じることは、

それがマイナスなことであってもプラスなことであったとしても、
やっぱりとても大事なものなんだと思う。