ほとんどの人が、ズル休みをした経験はあるかもしれない(笑)
仕事や学校で。
「今日はお腹が痛くて・・・」
「熱が出て・・・体調が悪くて・・・」
と言いながらも、テレビやDVDを観る、
ゲームをして過ごす。
または、寝る(笑)
こういうたまにあるズル休みは、ある意味では僕も賛成
でも、程々にしないといけないよね
このようなズル休みを「疾病利得」と言います。
また、病的である場合には「ミュンヒハウゼン症候群」と言われることもある。
「疾病利得」とは、
いわゆる病気であることで自分が得することを言います。
「これは・・・どうなんだろう?」と思うことがあります。
それは主に精神障害者でも、稀に見受けられること。
医療の精神科領域では、特異な『疾病利得』という概念があり、
これはいわゆる仮病とは異なる概念ですが、
症状の発現やその症状が遷延することによって、
引き起こされる心理的あるいは現実的な満足感のことを言います。
例えば、一見重篤な障害によって、
家族や周囲の人の同情や共感を得ることができたり、
仕事や苦しい現実や社会から逃避できたりする利得をさすものが挙げられます。
ここ最近というか昔は、
そんなに精神障害者って多くなかったような気がします。
本当は、何ともないのに、精神科医の前で、
・ワザとおかしなことや不可思議なことや理解できない話をする。
・「声(実際には聞こえない)が聞こえる」
・「物や人(実際には存在しない)が見える」
・「何もする気が起きない、しんどい、体が動かない」
・「○〇が不安で仕方なく、生活に影響して動けない、外出できない」
・人格異常者のような言動やフリをする
などなどを、言ったりすると簡単に精神疾患の診断が付いてしまう恐れがあります。
精神疾患は、殆ど、患者の発症経緯を調べ、医師の主観により、診断基準に照らし合わせ診断名が下るといっても良いかも(中には心理検査や脳検査をして診断される場合もあるけどね・・・)。
精神疾患は、今の医療では科学的に証明できるデーターや物的証拠というものが、ほとんど無いとも言われています(しかし、将来的には科学的証拠も証明できる日は来るとは思います)。
ということは? 想像できますよね?
虚言で、精神疾患を作り上げることもできる可能性がある。
でも、誤解が無いように言いますが
本当の精神疾患である人も中には大勢存在するのが事実です。
本当に統合失調症だったり、
うつ病だったり、躁うつ病だったり、
人格障害だったり、
本当に精神疾患を患っている人も居るのです。
精神症状に苦しみ、なんとか治したいと、
思っている人も居るのです。
決して、精神障害者に対して悪意はありませんし、偏見や軽蔑もありません!
誤解なさらぬように!!!
ただ、精神障害者の増加傾向を考えると・・・
社会的なストレスが多くなった現代社会にも原因は有ると思いますが、
それ以外に「疾病利得」を利用してる
って方が存在することも考えられるわけです。
国もその辺りには注意して、生活保護、障害給付などの制度も厳しくしている?のかも。
「人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する」
これは、アドラーの言葉です。
その他に、アドラーは、
・敗北を避けるために、時に人は自ら病気になる。「病気でなければできたのに・・・」そう言い訳して安全地帯へ逃げ込み、ラクをするのだ。
・病気になれば、課題から逃れ、家族を支配できる(家族だけじゃないけどね)、病人がこの便利な手段を手放すことは考えにくい。
とも言っています。
「傷つきたくない、嫌なことから逃れたい、責任を負いたくない、ラクしていきたい」ということが、疾病利得に隠されているような気がします。
そして、「負け戦に挑むくらいならば病気の方がマシ」と考えてしまう(アドラー心理学より)のかも・・・。
果たして、「疾病利得」で、人は本当に幸せになれるのだろうか?
疑問です。
僕的には、「疾病利得」を利用して生きていくにしても、
ゆくゆくは、劣等感を感じたり、負い目を感じたり、
罪悪感を抱いたりして生きていかなくてはいけなくなるのではないかと・・・。
人は、人との関わりの中で嫌なことも経験するけれど、
良いことも経験する生き物ではないでしょうか?
それが、不幸だったり、幸せだったり。
幸せっていうのは、嫌なことが有ったり、悲しいことが有ったりするのが前提であるものだから。
大切なことは、「疾病利得」が単に良いとか悪いとではなく、
その背後にある、それなりの意味を理解し、
心理的治療アプローチに繋げていくこと大切だと感じています。
今回は、疾病利得についてお話してみました。