祖生 岩隈八幡宮

 

 岩国市周東町祖生にある岩隈八幡宮の成り立ちを、「玖珂郡志」よりひも解いていこうと思います

 

玖珂郡志とは  岩国を中心とする玖珂群84村吉川氏所領を広瀬喜運が1802年(享和2年)にまとめた地誌です

 

 熊岩に三毛入野命が天下り 「熊毛」となった話は玖珂郡志の「岩熊神社本縁考」からご説明しました

その話の続きを紹介します

 

 

「神妙不思議なるは、是ヨリ西南の高山の峯なる岩の上に猿出て日々拝礼をなす。(中略)今ここを猿拝ミの峯と伝。」

そして 「里人あやしみて御神の化現玉(アラハレ)ふ事をしれり。」

 

 

 

 岩の上に猿が出て、日々拝礼をなす。里の人が不思議に思い、猿が拝む先を見ると三毛入野命が熊岩の上に現れてい。神明降臨の導きをなすは、猿田彦大神の神徳なり。今その山を猿拝みの峰という。

 

 令和のいま 猿拝みは誰も知らない、場所もわからない存在でした。

 

玖珂郡志 祖生村の『石』の記載に 「猿拝ミ石。シワリノ岡 此石上ニテ毎日猿、日輪ヲ拝セシ故ニ其名アリトゾ。猿ノ足跡アリ」 とある。

「シワリの岡」を手掛かりに猿拝石を探すことにしました。シワリノ岡 とは現在の 下祖生四割の岡である

 

祖生村図(岩国徴古館)

祖生村図(岩国徴古館)を四割、今岡付近を拡大した写真です。 黄色〇が「新寺」いまの極楽寺付近です 青い〇が「琵琶石」とあり今の金毘羅山のアナヌケ岩だと思われる。

 そして、赤い丸〇に 「猿拝」と見えます

 

 

 四割(シワリ)の地元の人は「サロウ神」が山の上にあると言い伝えられていて、その場所は子供の頃はよく登山して、岩の上からの展望はよい。と話しがありました。50年前の話で、現在その場所は登山道もない、が調査登山した。(2024年3月)

 

   

 

 

 

 険しい道であったが標高300m付近で猿拝石を発見する。展望は伊陸~下祖生一帯~玖珂まで見渡せ、岩隈八幡宮 熊岩方面もハッキリ見渡せます。

 

 

       

 

 

猿拝み石はパックリ亀裂が入っているようにも見えます。 

岩にポツンとある穴は (盃状穴か?) 玖珂郡志の「猿ノ足跡アリ」の事かもしれません

 

 

 
これは明治時代になって描かれた 下祖生の地図(岩国徴古館)です
青い〇の場所が 金毘羅社、先ほどの「祖生村図」で琵琶石だった場所です
赤い丸の場所が 㭕尾神 (サロウ神) となっています。
 
 猿拝み が サロウ神に なったのは、 
明治になり生活様式が変化し、地域の民間信仰が忘れさられてしった
そして「サロウ神」という言葉だけしか伝わらなっかった 為と思われます。