久しぶりです。そーです🙋‍♂️

今回は自分の進路に対する当事者意識がまるでない件について書いていこうと思います。

ではではよろしくお願いします!✌️



思い返すと昔っから自分の進路というものに対する当事者意識がまるで、無い。

割と中学生くらいからそういうものを意識する人は意識するというか、自分にはこれしかなくてこれで食っていくんだとか、消防士になりたいとか、公務員になりたい、飛行機系のものに携わりたいとか、ぼんやりそういった思いを抱くと思うんですよね。

まぁかくいう私も中学生くらいの頃から未来の自分どうするかな的な意識は無かったわけではなく、ぼんやり架空の出来事として将来これをしたいみたいなのはあって、実際親に俺将来これになりたいんだ的なことを言った覚えがあるんですよね。

んだけども、じゃあ実際現実の自分としてそれに対してなにかをするかと言えばそうではなかったし、ただぼんやりこういう未来もあるよなぁと空想してはその空想に耽っていただけという。



まぁ中学生くらいだとまあ多くの人がこんな具合で自分の進路をどうするかなんてぼんやりしていて、大体高校もテキトーに近くの高校行ってって感じで、進路に対する現実味は別にないっていう人が大多数なんじゃないかなとは思う。



で、じゃあ高校のタイミングはどうだったかということで——

高校生の頃を思い返してみると、わりかし周りの人たちも就職する人から大学行く人から専門学校行く人からで、自分の進路に対する明確な意識みたいなのがある人が結構いるなって感じがありますよね。これはどこの高校もそんな感じじゃないかしら。で、その空気感に対して自分はどこか宙に浮きながらその様子を傍らで眺めているという感覚が大きくあった。


その頃から自分の進路なんぞなんでもよくって、自分がどこに行くかというのは誰かがテキトーに決めて、じゃあその決められた場所で私はフルパワーで頑張りますのでといった考えがあったような気がする。

ちなみにこの、進路は誰かにテキトーに決めてもらってじゃあ私はその決められた場所でフルパワーで頑張りますといったスタンスの考えはまさに今も変わらずにある。



自分の中では、自分の進路を決める=見えているいくつもの可能性を捨てる、という部分が大いにあるなと思っていて、自分の進路を決めるというのは目に見える多くの可能性を見えていながらも捨てるということだなぁとも思ってしまう。

こういった具合なもんなんで、盲目さが欲しいだとかアホになりてえだとかを常日頃思ってしまう。盲目さやアホさがあればこういった可能性を前に立ちすくむことはないんじゃないだろうか。どうなんでしょうか。


で、

まぁ進路を考えるのは途方もない可能性を考える、そしてそれを捨てるっていう側面もあって、それはもう本当に途方もないので、だから無数にある私の可能性の中からテキトーにランダムにそこは誰かに決めてもらって、可能性の幅が一気に絞られたそこの枠内で私はフルパワーで行けるとこまで行きますという形が自分には理想的だなぁと思う。





とまぁ、途中からあんまり脈絡もなくただ頭で止めどなく考えていることをひたすら書き出した感じになってまいましたね。

いやぁすんません。すいやせん。すぃやせん。ねぇ、えぇ。




ブログを書くにあたって、自分がその時期に何を考えていたかを残しておきたいという目的もあるんで、なんとなく大目に見てください。いぇあーいぇあー。






てな感じで進路に対する当事者意識がねぇんですわってことを書きたかったんだけどもなんか右に左に行ってなんか知らねぇとこまできたなみたいなブログになっちまいやした。


まぁそれもこれも何を隠そう私いま大学3年生で4月になったらもう4年生っていうタイミングでして、まぁこのタイミングってのはTHE 就職活動なわけなんですね。

えぇ、おそらく多くの人にとって自分の進路を今までの人生で1番考える時期なわけですよ。

いやぁ〜〜〜〜〜〜誰か私の名前を勝手に使って就職活動なるものを終わらせてくれないすかね。



とまあこんな具合で今回のブログは終わり!!(打ち切り)