数年前から(同一人物か分からないが)低い、女の人とも男の人とも判別出来ない声が聞こえる。
いつもの嘲り笑う声と怒る声よりとても現実味があって、耳元に口を近づけて怒鳴られる感じ。
大体びっくりして起きるか、大声で意識が戻る。
とにかく恐い。
他者を否定して自分を正当化するのは簡単。
他者をこき下ろして、相対的に自分を上位に立たせるのは簡単。

人の心がわからなくても、自分の発言が優しいものなのか、悲しいものなのか、考えることは出来ると思う。
例えばそのときにはそんな余裕がなくても、時が過ぎて振り返ることはきっと出来る。自分の言葉を忘れてしまうこともあるのだろうけど。

他者を拒否することは誰もがしてしまうことだと思う。
でも他者を否定することはそれ自体に明確な攻撃的意志があり、それなりの責任が掛かってくる行為だと思います。
様々な文献や医師の話やネットの情報や自分の体験でもって、病気の知識をつけ、
自分こそが本当のその精神疾患にかかっている者なのだとして、
自身の知識から外れた者をニセモノ、詐病、演技性、かまってちゃんだとレッテル貼りをして、優越に浸る人がよくいる。
勿論、その優越はおくびにも出さず「本物の私はこんなに苦しいのに!病気になりきりたいなんて信じられない!」と、どれほど己が辛い状況にいるか主張する。

例えば拒食や過食。
「そんな食事量は拒食じゃない。拒食になると口に物を入れるだけで気持ち悪くなるんだから」
「それで過食?笑わせないでよ。私はその倍以上食べるのに」
「○kg以下ならマシレベル。悩んでる意味がわかんない」

他の病気でもそう。
「○○が出来るんなら全然軽い方だよ」
「本当にその病気なら○○症状があるはず。じゃないならただの××じゃないの」
「○○障害だなんて絶対他人に話せるわけない。詐病でしょ」

どれもこれも“自分が本当のその病気の患者”、“あなたより私の方がこんなに辛い”という気持ちが滲んでいる。
そんなにその病気である自分を特別視して、知らない症状、又は自分にはある症状が欠けている同じ疾患の人間を排除したいですか。
「○○という病気ならこういう症状があってすごく苦しいの!普通でいられる訳がない!あんたは似非だね!」
なんて、可哀想な自分が好きな排他的な意見は見るたび飽き飽きする。
自分とほぼ同じ症状を持ち、同じくらいの苦痛を語って聞かせた者だけを自分と同じ“本当の”病気の患者だと認定する。
でもどこかで、自分の方が辛い、と苦痛の大きさで疾患の重さを量ろうとしてる。

人の心はそんなに簡単ではないと思う。
大体、どんな本を読んでも、話を聞いても、経験しても、このパターンがこの病気の正解、なんて他人にはわからない。
その人の過去や背景、環境を全て知ったとしても、心の動きや耐性は人それぞれだから、同じ病気でも症状の度合いも人それぞれ。
一番重い人が一番辛いなんて嘘。
みんな辛い。

それでも自分を守りたくて、自分こそが本当に辛い人間なのだと見下す人、
当人も無意識なのだと思う。
だけど、とても不快で、とても可哀想。