~パチンコ依存症~


FDのローンで、やっと生活が出来るレベルで生きている時に、
当時付き合っていた彼女が有る事件を起こす。



それは、当時の彼女が会社の同僚に誘われて、パチスロを初めて打つことから始まる。
(私と彼女は会社が別だった。)



打った台は、CR機(確率変動搭載機)と言うもの。


有名な所では、CR大工の源さんや、CR黄門ちゃまだろうか。


3回ワンセットで連チャンする、CR機だ。



彼女も、最初はお約束の「ビギナーズラック」と言うやつで、最初の初打ちで15万ぐらい儲かったと記憶している。


当然、人間なのだから、また儲かるだろうと思ってしまうのが、人情である。


その日以降、同棲しているにもかかわらず、仕事が終わっても、家に帰ってくることが少なくなり、家事全般もまったくやらなくなってしまう。



私は、お給料はすべて彼女に渡していたので、お金の管理に関してはまったくの無頓着だった。

今思えば、「これ」がそもそもの元凶であった。

ギャンブル経験者なら、お判りかと思うが、負けた分を取り戻そうとするはずである。
かっこよく言えばリベンジである。

これは当然ながらうまく行く訳も無く、負債は募っていくのである・・・。


つづく


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~FD購入後~

もう、半端じゃなく辛かった。

まさに、借金地獄という言葉が、モロに当てはまる。

整備士の収入は手取り15万にも満たない頃だったので、ローンだけで手一杯。



ガソリンは何とか入れられたが、メンテナンスが出来ない。

(オイル交換・車検など)


フルノーマルで1年ぐらいを過ごし、年に2回の少ないボーナスで、アルミと足回りを購入するのが精一杯。

(そんなもの買ってる場合じゃないけど、見栄で買っていた。)

当時はインターネットや中古パーツなどあまり無く、買うとなるともちろん新品。


すべて、カー用品店で買うしか方法が無かった。
※当時は、16インチのタイヤで30万以上の値段だった。

その部品達も、結局維持できずに折角ボーナスで買ったのにも関わらず、ハゼガワ興業

(都内の中古パーツ屋)へ売りに出す始末。


30万で買った16インチホイール(3か月使用)も5万円で売った。


当時、こんな感じで何とかは生活はしていたが、一人前に同棲をし彼女なんか

居たりする時期があった。



親元を離れアパートを借り、デートは無し、食事は山田うどん(埼玉の方にしかわからないネタでスイマセン)だった。

確かに年齢も24歳になり、結婚も意識はしていたが、借金が¥500万強近くあったのでは、

到底出来るわけも無かった。


エッチも金欠でFDの中でやったこともあった。(悲)



やることが無いから、車でドライブが主流。燃料代も半端じゃなく、月に6万ぐらい使ってた。



そのFDも車検を受けるお金がなく、車検を迎える前に売却。


約3年と言う短い命だった。



と言うより、同時進行で、これからの借金漬け人生になる、ある事件が勃発しそれ所じゃなくなってきたのである。


つづく


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~就職~

専門学校も卒業し、国家試験にも合格。
晴れて整備士となった管理人。

就職先である、MAZDAでも、いい先輩に恵まれ、充実した日々を送っていた。

ある日のこと、店長から呼び出される。



店長 『ちょっと困った事が有ってな。』



話を聞くと、お客さんが急病になり、FD3Sをキャンセルされてしまったらしい。


もうすでに、登録も済んでおり、事実上は中古車と言う事になるが、まだ一回もエンジンをかけていない状態だと言う。



店長 『お前、セブン好きだろ?』



買ってくれるなら、280万に値引きすると。
管理人だけでなく、友人にも声をかけてくれと言われた。

とりあえず、興味は有った。

車も営業所に有ったため、試乗させてもらう事に。

これが良い!

専門学校時代に乗せてもらった、あの感動が蘇る!

今までの、FCはなんだったのだろうか?

これが有れば、首都高でもいけるのでは?
(当時、首都高には70スープラ、R32GT-Rが君臨していた。)

私のFCでは、限界がある。
(当時は車高を落としたり、マフラー交換だけでおまわりさんにサインを求められる、時代だった。)



これを買って、ブイブイ言わせてやる!!

購入を決意。価格は¥280万。
(当時はMAZDAの社員だったので、MAZDAクレジットの審査もかんたんに通った。)


コレで車の借金がMAXとなる


借金合計¥600万オーバー。

この後、車だけでは済まない、借金に包まれるのである・・・。


つづく


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~奈落の底へ~


自分の車は目立つので、少し離れた公園の敷地内に車を止めて、友人の言う場所まで歩いた。

辿り着いた先は、自分とは縁の無いような、高級住宅街だった。


『ここに何が有るのか?』


自分自身に問い詰めるも、時間だけが虚しく過ぎて逝く。

余りうろつくと、通報されそうだ。

そう思った、自分はさっきの公園へと歩き出した。


すると、向こうから見慣れた軽自動車が来た。



『彼女のだ!』


別段、悪い事をしている訳でも無いけど、何故か隠れた。

でも、何でこんな所へ?


人間として尾行行為は嫌だったが、心の中の自分が身体を動かす。


そして、目の前には信じられない光景が・・・。




彼女は、結婚していた。

しかも、小さい女の子も一緒だった。


とりあえず、帰ろう。

寄り道したのか?

まっすぐ帰ったのか?

記憶には無いが、

その日のうちに、スタンドに辞表を出した・・・。



つづく


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~彼女なのか?~



専門学校でも、いよいよ2年生になり、大分知識が身についてきた。



知識だけでは意味がないので、スタンドでは率先してオイル交換や軽整備をやらせてもらっていた。



生活は充実していたが、心と財布は乾いていた。



タイムカードによって刻まれた青春に、少なからず疲れを感じていた頃だった。

それを癒してくれたのが、同じスタンドに勤務していた女性の存在だった。



その笑顔は、車のローンで必死になってる自分に、道しるべの様な存在だったのかもしれない。

だから、手を差し伸べるまでに時間は掛からなかった。



彼女とのお付き合いが始まった!


毎日が楽しかった。



でも、デートはスタンドで一緒に働く時間だけ。

その後、一緒に出かけた事は無かった。

なんでも彼女には、体の不自由な両親がいる為に、夜は外出できないそうだ。

それでも、自分には十分だった。


ところがある日、友人にこう言われる。


『お前?確認した方がいいぞ。』


夜の街で、彼女を見かけたらしい。

ソレは自分の目で確認しろと言う。

そして、次の日。


バイトが終わったら、友人が言う場所へと向かったのであった・・・。


つづく


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~若気の至り~

人間は、慣れてしまうと、怖い物。



高校を卒業後、自動車整備士の専門学校に通いながら、ガソリンスタンドでのアルバイトもやっていた。



通っていた、専門学校が整備士の学校と言う事も有り、周りは車馬鹿だらけだった。

車馬鹿が集まれば、することと言ったらチューニングの話だけ!(笑


当時、維持費だけで精いっぱいだった管理人はノーマルで乗っていた。
とても、チューニングに回す費用なんて無かったのです。



有る日、同級生の友人が出たばかりのRX-7(FD3S)を購入する。
新車で、380万ぐらいだった記憶がある。


そいつは車屋の息子。親父がかってくれたそうな。


『車屋の親父だけに、やはり車馬鹿なのだろう。』


もの凄い思い込みであったが、正直言えば・・・


『メチャクチャうらやましかった!』



学校の帰り道に、助手席ではなく何故かリアシートに乗せてもらった。



シーケンシャルツインターボの加速力。
法定速度の3倍出しても、安定した車両。


自分のFCとシグナルグランプリをしても、まったく勝てず(凹

(今考えれば、あまりにも無謀。)


どう見ても、自分の車とは別の車だった。


結局、自分の車の非力さも有ったが、故障が目立ってきて、ロータリーエンジンの致命的でも有る、エンジンの圧縮が落ちてきた時期でも有った。



修理代の事等を考え、残債の有る中、後期型のFC3Sを購入してしまう。

(この後期を買わなかったら人生変わってたかもね。)



このときの残債が、約¥150万。



ここに後期型のローンが加わり、総額¥400万近くに跳ね上がってしまうのである。



管理人、19歳。

若さゆえの犯行である。


つづく

~分岐点~

高校卒業間近、


いよいよ、進路について決めなくてはいけない時期に差し掛かっていた。

最初自分は、普通に就職を希望していた。

しかし、その考えは、車を手にした時点で、変わっていた。

自動車整備の専門学校に行き、国家資格を取って、車関係の仕事がしたい!

好きな車で、お給料が貰いたい。

そんな事を願っていたのである。

とりあえず、ガソリンスタンドの先輩も通っていた、地元(埼玉)では有名な整備士の専門学校を受験する事になる。

受験と言っても、私立なので試験は皆無。

面接だけの簡単な試験だった。


さあ、春になったら、いよいよ自分の道を歩むことになる。

希望に胸膨らませる管理人18歳。


実はこの選択が、人生の大きな落とし穴とは知らずに・・・。


つづく

~そして事故~



今でも覚えてます。



初めて車両が我が家の駐車場に納車され、初めてエンジンキーをひねった瞬間も。



営業マンが車両の説明を、ネチネチやっていたが、自分は全く聞いていなかった。



『とにかく早く走りたい!』



この事で、頭がいっぱいになっていた。
説明も程々に、燃料が入っていなかったので、アルバイト先のガススタにお披露目に行った。

皆、喜んでくれた。

早速燃料を満タンに入れて、一番最初に行ったのは、

『ドライブスルー』(笑)

スポーツカーに乗ってマックのドライブスルーに行く事が、18歳の少年には夢だったのかもしれない。

踏めば、踏むほどスピードが出る。
いちいち、親に気を使わず、好きな時に乗れる。


この優越感は、何物にも代えられない物だった。

しかし、この夢も、短命に終わる。



ある、雨の日。
アルバイトに遅刻しそうになり、車の速度は少し速かったのかも知れない。


交差点でスピン。

左側面を縁石にヒット!!



人生初の事故(単独)である。


事故処理を終え、そのままスタンドに戻り、提携している板金工場に入院する事になる。


修理費用、30万。

今思えば安いのかもしれないが、車両保険にも入っていなかった当時の30万は、かなりの高額。
(車両保険に入っていればと、激しく後悔・・・。)


一旦は、親に借りて、車を修理するが、車のローン以外に30万は重くのしかかった。

その為に、別のスタンドで、24時~朝7時まで、バイトを掛け持ちする羽目になってしまうので有った。


つづく

FCと出会い、自分の中でローンがスタートするのである。


~FCとの出会い~

FC3Sとの出会いは、今から18年前、、。

(これを書いてるのは2008年です。)



アルバイトで貯めたお金で、高校3年生の6月には、普通免許を取得することが出来た。
高校生の分際(笑)で、車を乗り回して遊んでいたのである!


と、言っても車は親の車。AE91のシングルカムのカローラだった。(汗


親の車を借り、週末や休日はドライブを楽しんでいた。


しかし、所詮は家の車。母親が買い物に使う時や、親父が使う時も有って、肝心なデートや、友人と遊ぶ時など自由には使えなかった。

これから自動車関係の学校にに進学する事も有って、車両を購入することを決意したのである。

(今思えば、少し後悔・・・。)


そこで、夏休みをフルに使ってアルバイトし、今までの貯蓄と合わせて、自分の車を買う事を決意する。
もちろん、高校生アルバイトだった為、現金一括で車が買える訳も無く、親名義の60回ローンでの購入だ。

勿論、両親には反対された。

しかし、自分には自信が有った。

友達みんなは、バイクに乗って彼女とデートしたり、遠出をしたり楽しんでいる時期を、自分は自転車で必死にアルバイトし、教習所のお金を工面し、我慢した経緯が有り、意地も有った。

何とか、両親を説得する事に成功。


保険・車庫代・税金すべての費用を自分で出すと約束し、何とか説得をしたのだった。
(まあ、とりあえず・・・ね。)


さあ!後は車を探すだけ。

時代はバブル経済、絶好調であった。

先輩の影響もあって、自分の買いたい車は決まっていた。

私の欲しがっていた車両は、MAZDAのRX-7(FC3S前期型)。
しかも、GTリミッテッドと言う、サンルーフのついた最上級モデルである。
(当時、後期型はあったが新車でも売り出した頃で、ほぼ新車でも中古でも金額は変わらなかった、、。


当時は、サンルーフが若者の憧れだったのだ!(笑


当時の中古車の金利は、17.8%。
今のサラ金の金利が軒並み18.0%だから、当時はいかに金利が高かったか伺える。
そんな中、RX-7を購入することを決意する。

車両本体価格が¥200万。
諸費用など、総合計で¥260万ぐらいだった。

毎月の支払いが¥45,000ぐらいだった。
(ボーナス払いは無し)

ここからが、車と借金と自分との、長く険しい道のりのスタートであった。


つづく

ここが、車とローンと私の出発点です。

さ、借金地獄がここから始まります。



~普通免許取得~

車やバイクの運転には免許が必要です。

(誰でも知ってますけどね・・・笑)


話は自分が高校時代までさかのぼります。



1980年代当時、私の通っていた高校では、『3無い運動』という物が実施されていた。



バイクの免許を取らない。


バイクに乗らない。


バイクに乗せてもらわない。



当時は、若者のバイク事故が多発し、その対策として実施されていたものである。



果たして、3無い運動の成果は・・・?




あたりまえだが、ダメだと言われると、許可無し(無免許)で乗る若者が急上昇し、死亡者が急増する。



管理人も当然、バイクの免許は欲しかったが、在学中に免許を取得すると、私立や公立にもよるが、退学や停学、卒業まで免許を預かると言う処分が有った。


私の学校の場合、卒業まで免許を取られてしまう学校だった。


仮に高校3年生の夏休みに免許を取りたくても、学校に免許を取り上げられてしまっている以上、卒業まで普通免許が取れなくなってしまう事になるのである。


『そいつはイカン!』


自分は、バイクの免許は取らずに、3年生の誕生日まで我慢した。(管理人は5月生まれ)



教習所へ通う資金を、高校2年生からガソリンスタンドで稼いだ。
毎日、毎日働いて、月額12万。

(今考えると結構もらってたのね・・・汗)



でも、車が好きだったので、そんなに辛くは無かった。


なぜ?車に興味を持ったかと言うと・・・

(元々はよろしくメカドックやスーパーカーが好きだった世代でも有りますが。)


そこのバイト先には、当時整備士の専門学校に通う2人の先輩がいた。

一人はAE86。(トヨタ・レビン)

もう一人は、SA22C(マツダ・RX-7)に乗っていた。


その二人の影響をモロに受け、次第に車にハマってゆく・・・。


週末になると、峠や湾岸沿いに出没するようになっていくのであった。


つづく