メルさんは兵庫県出身の女性です。

いじめ、DV、乳がんなどあらゆる困難にぶち当たりながらも必死で乗り越え今3匹の保護猫ちゃんと一緒に穏やかに過ごしておられます。

あまりにもドラマティックな内容で、メルさんのストーリーを知った時は良く乗り越えられたな、すごいな、の連続でした。

それでは今日はそんなメルさんのストーリーをご紹介します。



 生い立ち

兵庫県の田舎に長女として生まれ、兄が死産だったことから周りに愛され育ちました。

幼い頃は運動神経が悪く、極度の怖がり。よく泣く子だったそうです。

そのせいか小学校に入るといじめの対象になってしまいました。

当時は仲間に入れてもらえない、陰で悪口を言われるなどの激しいいじめではなかったそうですが、メルさんの心が傷ついたことには変わりありません。

結局小学校、中学校、高校で体験した嫌な思い出は今も心に残っているそうです。

被害の大きさに関係なく、ネガティブな体験をしたら心は傷つくものです。つらいですね。




 結婚・出産と結婚生活

19歳の時にメルさんは結婚で大阪に引っ越し、新生活が始まりました。そして息子さんを出産します。

当時大阪に友達はおらず、話せる相手と言えば義母でしたが、義母にも育児の相談などはしにくく、メルさんは次第に孤立していくようになりました。

誰にも相談できない状況での初めての子育ては、時にとても孤独でつらいものだと思います。

そしてその状況に追い打ちをかけるように夫が交通事故に遭います。その時車は廃車になり、車はないのにそのローンだけを払い続ける日々で生活が困窮していきました。

夫は給料明細など見せてくれず、当時はいくらかの現金を渡されるというシステムで生活していたそうです。

まとまった現金を渡してくれていたらまだ良かったのですが、当時夫から受け取った現金から必要経費を支払うと5,000円しか残らなかったそうで、まだ小さな息子を抱えるメルさんは実家を頼るを得ない状況だったそうです。

切り詰める生活に孤独にと心身ともに疲れ切ったメルさん。

ついにタクシーで子供と一緒に夫の元から出て実家へ帰りました。


夫とはその後そのまま別居となり、一年後に離婚されました。

親権はメルさん。

そして離婚時に話し合った養育費の約束は、夫が月々30,000円養育費として支払うというもの。

でも実際は10,000円が数回支払われただけで、その後は一円も送ってこなくなったそうです。

酷いものですね。。。





 仕事と新たな出会い

生活をしていくため働き始めまたメルさん。

勤め先の社長からある男性を紹介されました。

その人は独身で娘さんがいる、メルさんよりも15歳年上の男性で、ダンプ屋を経営していました。

メルさんは年上だから頼れるかと思い、両親に伝えると両親は猛反対。


「土木関係の仕事はダメ!ダンプ屋なんて堅気のものがする仕事ではない!」


メルさんは自宅に一時軟禁状態になりました。

メルさんの親は今でいう毒親だったそうで、特に母親が「あなたは私の言うことを聞いていればよい!」という考えの人。

それにプラス、メルさん自身が両親に迷惑をかけたという引け目があったために、両親の言う通りしばらく家にいたそうです。

しかし、こうした自由のない窮屈な生活にストレスはかさみ、またこの結婚は譲れないという気持ちもあったことからメルさんは一大決心をして息子さんを連れて実家を出ていきました。

当時メルさんは24歳。12月の寒い時期でした。

その後両親から勘当され、16年間会うことはなかったそうです。





 新しい家族

実家を出てメルさんが息子さんを連れて向かった先は独身のダンプ屋さんの家でした。

しかし家の中には従業員がいてメルさんと息子さんの場所はありません。またその家は、田舎の田の字型のふすまで仕切る間取りで、部屋にはTVとこたつと石油ストーブがあるだけでした。

この時「想像していたものと違う」とメルさんは現実を目の当たりにし、実家を出てきたことを一瞬後悔したそうですが、もう後戻りはできません。


「再婚は片道切符」

そう思っていたメルさんは、なんとかその生活に順応しようと必死に努力し始めました。


初めはぎくしゃくしていた家族でしたが、メルさんの努力のかいもあり、徐々にそのぎくしゃくもなくなっていきました。

そしてその彼が正式にメルさんの夫になりました。




 夫の本性

一緒に住み始めて4か月後、夫の本性が徐々に出始めました。

夫には気に入らないと暴言を吐く癖がありました。

「ダボ(アホ)」「ボケ」「死ね」「出てけ!」


父親からもすら言われたことのない暴言にメルさんは驚き、始めのうちは言われるたびに泣いていたメルさんですが、その暴言にもそのうち慣れ反論するようになりました。

すると夫はメルさんに暴言だけでなく暴力を振るうようになっていきました。

まず、物を壊す、大きな声で恫喝そして最後に手が出て、メルさんは殴られました。


酷い時には体中青あざにだらけになったこともあるそうです。

そしてその翌日、体の痛みで苦しむメルさんを見て大変なことをしてしまったと焦る夫がメルさんに

「えらいことをしてしまった!もうしないから許してくれ!」

「湿布貼ってやるから済まない!」

と言い、優しくなります。


完全なDVです。

しかし当時はDVという言葉がなく、ただ「気の荒い人」という認識で、メルさんはただただ耐える日々を送りました。


そして結婚4年目頃から夫からの暴力がより一層酷くなっていきました。

耐えに耐えたメルさんでしたが、この時ばかりは「離婚」の文字が心を占めるようになりました。

ただ自分に懐いてくれている娘さんのことを想うと簡単に決断できるものではありません。

ここに娘を置いてはいけない、自分に引き取れるのか?離婚後の経済的な問題はどうするのか?など色々考えられたことと思います。

結局娘さんのことを想い、メルさんは離婚を踏みとどまっていました。

そんな矢先、夫が倒れ入院することになりました。



次回に続きます。