町はクリスマス気分になってきました。
クリスマスは12月25日と思っていたら、ギリシャ正教やロシア正教では1月7日と言うことを初めて知りました。
ローマカトリック教会とギリシャ正教会が何故分かれたかは、教義上の対立からでしょうが、米原万里さんが「決定的だったのは聖餐式で使うパンをめぐる対立だったらしい。(">ビザンチンやロシアで常用される)酸味のあるパンを用いるか、カトリック教会では一般的だった">酸味の無いパンを用いるかをめぐって、11世紀の半ばには激論が東西教会間で交わされているのだ。教皇レオ9世が、
聖餐に酸味のあるパンを用いてはならない」と断を下したことによって、ビザンチン正教はカトリックと袂を分かつしかなくなった
米原さんが亡くなって10年以上。私は彼女のエッセイが好きで、飽かずに読んでます。ロシア語の同時通訳、旧共産圏で過ごした日々に加え、日本だけでしか生活経験のない人では絶対に描く事が出来ない著作の内容。早くお亡くなりになったことが、なんとしても私には残念な作家です。
ロシアの聖歌
クリスマスは12月25日と思っていたら、ギリシャ正教やロシア正教では1月7日と言うことを初めて知りました。
ローマカトリック教会とギリシャ正教会が何故分かれたかは、教義上の対立からでしょうが、米原万里さんが「決定的だったのは聖餐式で使うパンをめぐる対立だったらしい。(">ビザンチンやロシアで常用される)酸味のあるパンを用いるか、カトリック教会では一般的だった">酸味の無いパンを用いるかをめぐって、11世紀の半ばには激論が東西教会間で交わされているのだ。教皇レオ9世が、
聖餐に酸味のあるパンを用いてはならない」と断を下したことによって、ビザンチン正教はカトリックと袂を分かつしかなくなった
ロシア人は酸味のあるパンを常食しており、これを否定すれば、民族的アイデンティティを痛く傷つけられることは火を見るより明らかだった。レオ9世の決定を認めたら、ロシアはキリスト教から離脱してしまう。ビザンチンは、カトリックよりロシアをつまり黒パンを選んだのはそのためだ」 米原万里 佐藤優編 「偉くない「私」が一番自由」より
私達、日本人が飽きずに食べるお米のごはんはロシア人にとっては”酸味のある黒パン”
重大な決断は意外にも世俗的な欲求を美しく飾り、本当らしく見せている。高邁さに隠されたことが、他にもたくさんありそうだし、現にあることをわたしたちは沢山知っている。あれもこれも・・・・
12月25日と1月7日がある原因は、「黒パン」と「白いパン」でした。
米原さんが亡くなって10年以上。私は彼女のエッセイが好きで、飽かずに読んでます。ロシア語の同時通訳、旧共産圏で過ごした日々に加え、日本だけでしか生活経験のない人では絶対に描く事が出来ない著作の内容。早くお亡くなりになったことが、なんとしても私には残念な作家です。
ロシアの聖歌
