内田樹研究室 、11月26日のブログを読んで、なるほどそうだったのかと納得できる主張でした。1945年、日本が第二次世界大戦で敗戦国になり、全てのことにおいて、権利を行使できない所から

(引用)

吉田茂、岸信介、佐藤栄作あたりまで、一九七〇年代なかばまでの戦後政治家たちは、対米従属を通じてアメリカの信頼を獲得して、それによってアメリカに直接統治されている属国状態から、次第にフリーハンドを回復して、最終的に米軍基地がすべて撤去された後、憲法を改定して主権国家としての体面を回復する、そういうロードマップを描いていたのだと思います。


アメリカから「のれん分け」してもらった後、外交についても、国防についても日本独自の戦略を展開してゆく。半世紀くらいかけてじわじわと独立を回復していく、そういう気長なスケジュールを組んでいたんだろうと思います。

そのスケジュールの選択というのは、当時の日本においては必至のものであったし、十分な合理性もあったと思います。そして、この戦略の合理性を確信させたのは、何よりも成功体験があったからです。対米従属したら、うまくいった。その成功体験があった。

アメリカから「のれん分け」してもらった後、外交についても、国防についても日本独自の戦略を展開してゆく。半世紀くらいかけてじわじわと独立を回復していく、そういう気長なスケジュールを組んでいたんだろうと思います。(引用終わり)


が、後を引き継いだ政治家や官僚は、前の時代の政治家達の計画や苦労を 慮ること無く、唯々諾々としていれば、美味しい結果が来るという事だけを引き継ぎました。結果が現状の政治になりはてていると筆者は主張します。


そして締めくくりを

(引用)

真に政治的なものは実は知性の働きだと思っているからです。
今、何が起きているのか、今、現実に日本で国政の舵をとっている人たちが何を考えているのか、どういう欲望を持っているのか、どういう無意識的な衝動に駆動されているのか、それを白日のもとにさらしていくという作業が、実際にはデモをしたり署名を集めたりするよりも、時によっては何百倍何千倍も効果的な政治的な力になるだろうと僕は信じております。

(引用終わり)


過去を振り返り、未来に向かって理想の線を描く事が、政治や経済に限らず、小さな私の人生にとっても大事なことだと考えています。それにしても自身の欠落感の余りの大きさに進む道を見いだせずにいます。


内田先生のこのブログに、大きな考えると言うことの方法を教えられました。


私には素敵なプレゼントであるようなそんなブログでした。