数日前、閣議で平和主義を放棄すると言う新たな解釈を決めた時に、公明党が最終的に賛成したからと言うことが大きく取り上げられていました。


それまで公明党は戦争に繋がることは賛成しないと、そのように見られていたように思います。


スコットランドを旅行したのは、6年も前のことになりますが、一人のスコットランド人が、私が日本からの旅行者と知ると、仏教とだと自己紹介してきました。詳しく聞くと、創価学会員で理由は、創始者、戸田城聖が戦争に強く反対しているから、と答えてくれました。


私は日本で見ていると、創価学会がサポートしている公明党が、自民党と連立を組んでいること。その自民党が平和主義には見えないことなどを理由に、どんな宗教団体でも布教するときには”素晴らしいこと”しか言わないから、しっかりと調べた方が良いとその人に言いました。私には少しうさんくさく見える創価学会でしたから。


アメリカ、ボストンでも創価学会の仏教を信じている人に会いましたし、中国人の一人は、池田大作さんをえらく評価していました。私の偶々接したそれらの人は一様に若者でした。それだけ、創価学会は海外に熱心に布教していると推測できます。


私の世代には、戦争の記憶が色濃く残っています。

学友には何人も戦争で父親が戦死、命カラガラ引き上げ、家を焼かれ、生活の基盤を失いと悲しいことが身近な日常に聞く話でした。私の親戚や、身内にもいます。


そのようなありふれた事柄の中で、「二度と戦争はいやだ」というのは誰もが持った感情で有り、願いでした。


憲法という国の基本を閣議だけで解釈変更でもないだろうと、そんなに簡単に解釈変更され、簡単に海外に派兵されるのは、何時も国会議員のような人達では無く、庶民と言われる人達で、一番の犠牲者になるのですから。


私の親の世代は戦争に狩り出されました。私の親も含め、そしてどこかで読んで、同じだとうなずけたのですが、家族に戦場であったことを話すことが有りませんでした。戦争は人を殺し、殺されることがどんなことか、話さなかったことを通してその惨さが想像できます。


公明党が連立を組むことによって歯止めの役を果たすといううたい文句は、今私達の置かれている国全体の胡散臭さと同じ。つまりは後ろに控えている宗教組織も私が感じていた通りだったんだなと納得しています。