読売新聞のWEB版で
「煮立った大釜に入り「湯加持行」…火まつり」の記事と写真を見ました。
記事にあるようなちょっと考えられない常人では出来ないことが、特別に修行を積んだお方は出来ると言うことでしょうか。
(引用)
栃木県那須塩原市沼野田和の那須
不動尊前での火まつりは1988年に始まり、今年で27回目。
長浜大法住職(57)が、煮立った大釜に入って不動尊の化身となる「湯加持行」を無事勤め終えると拍手が起こった。さらに、修験者が衣の袖に燃えるたいまつを通して参拝者の加護を祈る「たいまつ行」や、住職がはだしで燃えさかる炎に飛び込む荒行が続いた。
最後に火を鎮め、参拝者が手を合わせながら次々と渡り歩いた。那須塩原市の女性(60)は「10年ほど前に乳がんの手術をした。今年も健康であるようにと祈った」と話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/photograph/news/article.html?id=20140629-OYT1I50018
(引用終わり)
心頭滅却すれば火も自ずから涼し・・・という言葉を思い出しました。
織田信孝が寺を焼き討ちしたときにその寺の和尚、快川紹喜が「心頭滅却すれば火も自ずから涼し・・・」という辞世の句を残し火の中に消えていったという。それほどのことを、火祭りで行われていることに
私たちの民族の血の中に「やれば出来る」という言葉が刷り込まれているのかなと思います。それが良い方に働けば素晴らしいこととして賞賛されますが、サリン事件のように実にしばしば、マインドコントロールのツールとして使われてしまうことがあるのも又別の事実です。
オーム真理教が猛毒サリンを使い多くの人を犠牲にした事件から19年過ぎたと同じ新聞に記載されています。
