この日は、アルゼンチンの作曲家、ヒナステラのみの演奏でした。日本ではあまり有名でない作曲家の名前や作品は瀬田さんが日本にお住まいの時分、ご自宅でホームコンサートを時々開いておられて教えて頂かなかったら知り得ない名前でした。彼女はヒナステラの曲が大好きだと言う感じでしたが、具体的にはほんの少し作品に触れただけでした。
演奏は圧倒的なインパクトをもって私の心を捕まえました。最後に演奏された「ピアノ協奏曲第一番」2台のピアノが奏でる音の、12音階という、現代音楽は、今まではどちらかと言えば、忌避していたのが、瀬田さんの演奏でその素晴らしさに目覚めました。演奏が終わった後、出口に出てこられた瀬田さんの満足しきった表情に、私は”幸せだ、最高の演奏を今日この場で聴くことができた!”その思いを素直に賞賛できる幸せの余韻を持って帰路につきました。
瀬田敦子さんのプロフィール
http://www.page.sannet.ne.jp/atsuko1/prof_ja.htm
アルベルト・(エヴァリスト)・ヒナステラAlberto (Evaristo) Ginastera
1916~1983 アルゼンチン人 スイスに没す 近・現代 作曲家
ヒナステラは12歳でブエノスアイレスのウイリアムス音楽院に入学し、作曲、ピアノを学び、30年頃から作曲を始めており、第2次世界大戦が終わるのを待って45~47年にアメリカに渡り、研鑽を積んだ。ブエノスアイレスに戻ったヒナステラは国際作曲家組織(ISCM)のアルゼンチン支部を創るなど活躍し、その後、ヨーロッパ各地のISCM音楽祭で演奏するなど忙しく時を過ごした。71年以降はスイスのジュネーヴに住居を定めて国際的に
活躍した。ヒナステラは客観的国民楽派で、初期は民族音楽に基づく作風を見せていたが、
次第に無調や12音技法など現代的手法をとるようになった。作品はバレー、オペラ、室内楽、協奏曲、ピアノ・ソナタ、ダンス音楽など多数にのぼる。「魔術的アメリカに寄せるカンタータ Op.27」(61年)と「ピアノ協奏曲 No.1」(61年)
は世界的に有名である。
(参考資料:中村菊子著 『ピアノレパートリーガイド』)
