タイトルの句は「暮しの手帖」62号(2・3月号)の随筆欄に掲載されている 早坂 暁さんの句です。
要旨は
毎年、8月になるとインタビュアーが、海軍兵学校78期生の早坂さんに「どんな思いか?どこで迎えたか?」を聞きに来る。300万人の兵士や市民が死んだ戦争の果てで「うれしかった」とは言えないが、帰る事はないと思っていた故郷に帰れるので喜びの思いがこみ上げてきた。
と始まり、広島を通過した時に、そこで亡くなった人たちの数千の燐光、聞こえてきたのはたった一人の赤ん坊の泣き声。膝ばかりがガタガタ震えた。と続き、生家に帰ると、そこでは句会が開かれてい、降るように広島では聞けなかった蝉の声。絞り出すようにして作ったのが、タイトルの句。
作者の思いも十分に伝えられないのに、ここまで引用してしまって、申し訳ないと思うのですが、東北大震災にあわれた方の思いや、昔になってしまった阪神大震災、私の物心ついた時から、多くの身近に接した第二次世界大戦にまつわる話に、呆然としてしまう私です。
ああ、もう二年が、亡くなられた方の3回忌が、復興ままならない被災地、変に浮かれたように見える政治や経済。で、早坂さんの句、「生きたくば セミのよに鳴け 八月は」が胸に深く響いてきました。そう、生きるということは、声を出すこと。”なく”は「鳴く」「泣く」「啼く」「哭く」そして「亡く」であったことを。
早坂 暁さんは
生家が遍路みちに面した大きな商家で、幼少よりお遍路さんに接してきたこと、また、遍路に置き去りにされ、生家が引き取って「妹」として育った少女が、広島で原爆に遭い死亡したと思われる(8月5日に広島に行ったまま行方不明)ことなどから、遍路(四国八十八カ所)や原爆に関する作品や論評、活動も多く、生家をモデルにした『花へんろ』、胎内被爆者が主人公の『夢千代日記』につながっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%9D%82%E6%9A%81
要旨は
毎年、8月になるとインタビュアーが、海軍兵学校78期生の早坂さんに「どんな思いか?どこで迎えたか?」を聞きに来る。300万人の兵士や市民が死んだ戦争の果てで「うれしかった」とは言えないが、帰る事はないと思っていた故郷に帰れるので喜びの思いがこみ上げてきた。
と始まり、広島を通過した時に、そこで亡くなった人たちの数千の燐光、聞こえてきたのはたった一人の赤ん坊の泣き声。膝ばかりがガタガタ震えた。と続き、生家に帰ると、そこでは句会が開かれてい、降るように広島では聞けなかった蝉の声。絞り出すようにして作ったのが、タイトルの句。
作者の思いも十分に伝えられないのに、ここまで引用してしまって、申し訳ないと思うのですが、東北大震災にあわれた方の思いや、昔になってしまった阪神大震災、私の物心ついた時から、多くの身近に接した第二次世界大戦にまつわる話に、呆然としてしまう私です。
ああ、もう二年が、亡くなられた方の3回忌が、復興ままならない被災地、変に浮かれたように見える政治や経済。で、早坂さんの句、「生きたくば セミのよに鳴け 八月は」が胸に深く響いてきました。そう、生きるということは、声を出すこと。”なく”は「鳴く」「泣く」「啼く」「哭く」そして「亡く」であったことを。
早坂 暁さんは
生家が遍路みちに面した大きな商家で、幼少よりお遍路さんに接してきたこと、また、遍路に置き去りにされ、生家が引き取って「妹」として育った少女が、広島で原爆に遭い死亡したと思われる(8月5日に広島に行ったまま行方不明)ことなどから、遍路(四国八十八カ所)や原爆に関する作品や論評、活動も多く、生家をモデルにした『花へんろ』、胎内被爆者が主人公の『夢千代日記』につながっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%9D%82%E6%9A%81
