京都、四条河原町の百貨店で、色白のタケノコを見つけました。「今入りたてや」という言葉につられ購入。持ち帰って、ぬかと鷹の爪を入れ茹で、

タケノコが主菜の食事を作りました。

タケノコご飯
若竹汁
タケノコの煮物
姫皮の梅肉和え
 旬を味わい尽くした気分です。

 さすが、昔から良質のタケノコが出るという、京の西、西京区辺りのは、見るからに色白、きめ細かく、柔らかく、灰汁けが少なくて、最高でした。私の年齢では、吹き出物の心配はしなくて良いと、堪能しました。

 今年は豊作と友人が言っていましたが、出来る場所によっては、放射能汚染が問題になりやすい作物。悲しみも美味しさと共にいただきました。

 観光客の多い京都。私の目的は、南座での展覧会「玉三郎”美”の世界展」を見ることでした。
残念ながら、上演作品は見ることができませんでしたが、彼が舞台で身につけている、超豪華な衣装や、小物、台本、ビデオなどが展示されていました。それにしても、衣装は縫い取り、金糸をふんだんに使った、これ以上手を掛けられないと言うほどの、それでいて細かいところまで手を入れ尽くされた、例えば花魁(おいらん)が着る打ち掛け。小物、例えば日本髪に付ける簪(かんざし)や笄(こうがい)の、なんと繊細に季節感が感じられる、細工の美しさ。私には見るだけですが、歌舞伎の世界では生きている。日本の伝統芸能が、遠くの物と思っていましたが、このところ、意識的にその伝統芸能を見ていますと、それらがダイレクトに心に響くように感じます。

 西洋音楽は、好きなことは好きなのですが、学習した後に、最初は教養として聞き、徐々に自分の物になってきた。と言う感じです。

 もしかしたら、これは大変良いことかもしれないと、自分の感じ方を肯定しています。この状態で初めて、私がもし求められれば、自分の国のことを語ることが出来、他の国の事を理解する入り口に立ったのでは無いかと感じます。つまり、有り難いことに、理解が平面的理解から、立体的理解に進みかけていると言うことでしょうか。


 6月は出来たら、坂東玉三郎の南座の舞台を鑑賞したいと思っています。聞けば、手に入れにくいと言うことですが。

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