上下左右は物をはけるときの基本なので、上下は身分や品質。右左は考え方の違いを表す時によく使われますが、基本は、真ん中に存在する物を抜きにしてはこの分け方はぞんざいしません。
中心は私、あるいは表現者です。
上下は、上が当然良い物で下は悪い物になりますが、
右と左は?身分などでは真ん中が一番えらく、左右はお助けする役目の時と、右が偉かったり左が偉かったり。
最近、タクシーに乗り、運転手さんに道順を伝えるのに、右に曲がってと伝えるべき所を、左に曲がってと伝えたようで、運転手さんから「この道は行けません」と言われて初めて気づく始末。その道は左折禁止。私には、頭で思うことと、こと左右に関する限り、口は全く別です。目的地に着いたときにタクシーの運転手さんから、同情を込めた調子で「お帰りは十分に気をつけて下さいよ!」と言われてしまいました。
右左混同は私にとって日常茶飯事。左手使いが右手使いに無理に矯正したからかな?と思うのですが、真相は不明です。
WIREDブログで、「右手使いの方が左手使いより長生き」との記事に残念と思ったり、
左手使いは器用だと言われているのには?と、これには当てはまらない。
レオナルド・ダ・ビンチは左手使いで、彼の手稿は”鏡字”で書かれているのは、私も日本語なら、どんな文字でも考えることなく、彼と同じようにかけることを、特技としてきましたが、才能は全くない事は、当然と思いながら、せめて足下に及ぶくらいであればな、と・・・。
政治の世界では、右が保守。左が革新となっていましたが、最近その差が曖昧になって、右派左派という言葉は使われなくなったような印象です。
最初が自分の中から出てきた、上下左右が、大きくなって、相容れないことになったり戦争に発展したり。考えを今一度、中心である自分に戻って行けば、避け得る紛争や戦争がなくなりそうだと、そんな夢想や妄想が出てきました。
中心は私、あるいは表現者です。
上下は、上が当然良い物で下は悪い物になりますが、
右と左は?身分などでは真ん中が一番えらく、左右はお助けする役目の時と、右が偉かったり左が偉かったり。
最近、タクシーに乗り、運転手さんに道順を伝えるのに、右に曲がってと伝えるべき所を、左に曲がってと伝えたようで、運転手さんから「この道は行けません」と言われて初めて気づく始末。その道は左折禁止。私には、頭で思うことと、こと左右に関する限り、口は全く別です。目的地に着いたときにタクシーの運転手さんから、同情を込めた調子で「お帰りは十分に気をつけて下さいよ!」と言われてしまいました。
右左混同は私にとって日常茶飯事。左手使いが右手使いに無理に矯正したからかな?と思うのですが、真相は不明です。
WIREDブログで、「右手使いの方が左手使いより長生き」との記事に残念と思ったり、
左手使いは器用だと言われているのには?と、これには当てはまらない。
レオナルド・ダ・ビンチは左手使いで、彼の手稿は”鏡字”で書かれているのは、私も日本語なら、どんな文字でも考えることなく、彼と同じようにかけることを、特技としてきましたが、才能は全くない事は、当然と思いながら、せめて足下に及ぶくらいであればな、と・・・。
政治の世界では、右が保守。左が革新となっていましたが、最近その差が曖昧になって、右派左派という言葉は使われなくなったような印象です。
最初が自分の中から出てきた、上下左右が、大きくなって、相容れないことになったり戦争に発展したり。考えを今一度、中心である自分に戻って行けば、避け得る紛争や戦争がなくなりそうだと、そんな夢想や妄想が出てきました。
