「百聞は一見にしかず」という言葉は、常日頃よく聞く言葉です。

 言葉の意味はよくご存知と思いますが、百回説明されて理解したつもりでも、一回だけ見て得た事実には劣る。と言うことです。

 近頃、その言葉が実際に知恵として生かしていないと感じることがよくあります。
本や、パソコンなどで得る知識で満足してしまっています。もっと言えば、最近の3D映画を見ますと、実際より迫力があって、そのものを体験したような錯覚に陥ってしまっています。風やぬくもりや匂いが感じられないことすら忘れてしまっています。現実味がそこには有りません。

 バーチャルを見て、現実と錯覚し「机上の空論」を推し進めてしまいます。

東日本大震災の復興のために、復興庁を政府が作ったという記事を見ましたときに、それが現地ではなく、東京にできたことに、どうして、福島県にその官庁は置かれないのかと、復興が遅れているという記事を読むたびに思っています。それと共にタイトルの言葉がズーッと気になっていました。

 この言葉の出所と意味を検索してみて、一段とその重みに触れました。

 中国、漢の時代趙充国は時に七十を越えていた。彼は現在の甘粛省天水市の人で、若い時から北から攻め入る対匈奴戦に従軍していた。
 
 武帝のとき、弍師将軍李広利の配下として遠征した際、全軍が包囲さ
れ、食も乏しく死傷者も多く出た。この時充国は兵百余兵を連れて突進
し、自ら全身に二十もの傷を受けながらも、包囲を破り全軍を救った。
このときの功績により、武帝から車騎将軍に任じられた。以来彼の対匈
奴・対羌の生涯がはじまる。
 
 その人となりは沈勇で大略があり、下門を受けるに相応しい人物であ
った。彼は質問に「老臣に優るものはありません」と答えた。
 
 彼は召し出されて宣帝より更に尋ねられた。
 
 「将軍が羌を討つとすれば、どんな計略を用いるのか?
  また、どれほどの兵を用いればよいのか?」
 
 老将軍は答えて言う、
 
 「百聞は一見に如かず。
  およそ軍の事は実地を見ずに遠くからは計りがたいもの、
  それゆえ願わくは金城群に赴き、
  図面を引いて方策を奉りたく存じます。」

 
 更にそう言って自分に任せて欲しい旨を述べた。宣帝は笑って「よろしい」と言ったという。(「漢書」趙充国伝)        河出書房新社「中国故事物語」より
        
 
 西洋の諺にも「十の噂より見た証拠一つ」というのがあるそうです。