2007年。むなしさがこみ上げるように振り返ることができます。
今年の6月頃、書道家の先生とお話をする機会がありました。先生が、猪年の2007年は、隠れていたものが現れる年だと言われました。其の時は、ただ聞き流していましたが、後から後からスキャンダル、テレビでは、連日といって良いほど、謝る政治家や企業家等々を見ていると、あの先生の言われたことが当たっていると思わざるを得ませんでした。良くないことのシンクロニシティーなのでしょうか。「時代の趨勢、時代の制約」という言葉は、どんな時代にも当てはまるのだと思いました。
機会があれば、2008年の事をお聞きしてみたいと思います。みんなが良い年であって欲しいと願っているその願いが叶えば、嬉しいですもの。
赤い実を付けた南天があちこちの庭に見ることができます。
「難を吉に転じる」という連想から縁起の良い樹の赤い実が、冬の庭の点景としてとても映えています。お正月のお重や赤飯に添えたりするのは、抗菌作用があるので、腐敗防止のための知恵。実はせき止めの作用があるようです。
少し山の方へ散歩中に譲り葉の樹を見つけました。鏡餅の飾りに、串柿や橙とともに飾られる艶やかな葉です。
ゆずり葉
子どもたちよ
これは譲り葉の木です
この譲り葉は
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉に命を譲って
子供達よ
お前達は何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです
太陽の回るかぎり
護られものは絶えません
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです
幸福なる子供達よ
お前たちの手はまだ小さいけれど
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない
みんなお前たちに譲ってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています
今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる
鳥のようにうたひ
花のように笑っている間に
気が附いてきます
そしたら子供達よ
もう一度、譲り葉の木の下に立って
譲り葉を見るときが来るでしょう
河井酔名
醉名がこの詩を書いたときには、こんなにストレートに、こんなに未来を託し、明るい行く末が見えた時代だったんだと・・・・。せめて、親や親の世代以上の私たちは、子供へ託するものを、自分の子供や利害関係のある子供達にではなく、若い世代に利害を超えてこの国に生まれて良かったという其の様な希望に満ちた空気と思想を残したい。
私が、この人は年を取ったなと判断する基準にしていることは(勿論自分を含めて)、自伝を書きたいと言い始めたとき。自分の過去の栄光を自慢しだしたとき。人から褒めていただくことで、其の人への評価を変えようとしているとき。こんな人にであったときには、隠居された方がよいのではないかと思っています。譲り葉のように潔く(いさぎよく)。その方が有名、無名にかかわらず、私の一つの判断基準です。


