大阪、万博記念公演の一角にある大阪民芸博物館の催しは、「倉敷民芸館名品展」です。
静かな雰囲気の中、素朴で華やかではないけれど、手のぬくもりが今も直伝わってくるような品物に、民芸運動に加わった人達が、何に感動し、自身の作品に反映させたかを考えさせる展覧会でした。
そんな一人が、牧師の傍ら、民芸運動に取り組んだ外村吉之介(1898~1993)です。
外村はポスターの紹介によれば「私にとって伝導することと機を織ることは二つではありません。信仰の暮らしと工芸の働きとは神の御働きかけの中にあって、一如であります」と述べています。招かれて、倉敷の酒蔵を使った民芸館に招かれ、機の側に座し来館者に語りかけた。とあります。私は、その何度か訪れた倉敷の民芸館で、当時館長であった氏の側を通り収蔵品を見て回った記憶があります。
先日、久方ぶりに倉敷民芸館を訪れました。展示棟に小さな額が掲げてありました。
「真実は 平凡の中に宿ると言っても
これを 全的に把握するには
鋭い直感と思索を要する。
しかも これを大衆の中に有りとするには
周到な論理と 本明なことばによらねばならない」
と書かれていました。信仰と民芸に打ち込んだ、外村吉之助という人を素晴らしくよく表した言葉だと思います。それとともに、我々の間に、如何に本明な言葉の不足していることか。如何に、自分の目に対する確かな自信の欠如していることかを教えられる額でありました。

