この写真の文章は、数年前、自閉症の6歳の子供が書いたものです。方法は、抱っこ法、筆談と言う事ですが、一部載せてみました。
全体は
Q: トイレを怖がるのはどうして?
A:トイレこわいのは、もうすこしあかりがほしいです。でんきをつけてほしい。くらいのがこわい。
あかちゃんのとき、さらわれた。しらないおじちゃん(注:保育所入所前に午後6時すぎから、8時頃まで迷子になったことがあります。知らないおじちゃんというのは、交番に連れて行ってくれた人のことだと思います)
Q:迷子になったときどうして泣かなかったの?
A:なきたかったけれど、なけなかった。あまりこわかったので。
Q:よく車に轢かれなかったね。
A:のりもの、くるまはこわかったので、ちかよらなかった。
Q:2時間の間何して他の?
A:のりものをずっとみてた。
Q:何歳ですかと聞いたとき、なぜ、6歳ですと言わないで、関係のないことを言ったの?
A:(注:先生が目隠しをして、何歳?と聞いたので)めかくしはいやです。おかあちゃんは、ぼくのこと6さいとおもっていなかったから。ぼくは、なんでもわかっている。
Q:何でもわかっているのなら、どうして、それを表に出さないの?
A:もっと、おかあちゃんが、やさしいひとになるためよ。やさしくなんでもゆるすこと。こどもをしかること。あいのあるひとはしからない。
Q:誰がそういうことを言うの?
A:かみさまがいっている。
Q:神様に何時会ったの?
A:うまれるまえにあいました。やさしいひとがふえるようにおしえなさい。おまえなじへいしょうというびょうきになりなさい。かみさまはむずかしいひとをそだてると、あいがあたえられるといいました。
私の中では、差別や、区別、蔑みはいけないことだとわかっているつもりですが、実際には、行いは全く恥ずかしい、愛の足りない行為して居ます。
今、私たちは、多くの「輪廻転生」や「死後体験」などの本を手に取る事が出来ます。この文章のようなことを、そんな本を読むことの出来る年代の人が言ったとしたら、書物などの影響だろうと思ってしまいますが、6歳の子供が書いたものを見ると、神様、あるいは、大いなる方、宇宙の意志が事実であると信じても良いと確信できます。
日本の昔の知恵で、問題のある子供が授かったとき、「宝子」を授かったと大切に育てるように言ったといいます。本当にそうなのでしょう。神様は私の計り知れないところで、私たち、地上に住むものを育てようとなさっておられるようです。


