「地には人々に平和を」という言葉は、全ての人の願いであるはずですが、しかも尚、遠いところにあります。
私の子供時代には、戦争が原因で引き起こされた悲しみを沢山見聞きしました。そんな時代が2度と来て欲しくないという気持ちは、強い願いとなっています。
戦争で家を失い、家族を失った学校友達は珍しくありませんでした。私達以上の世代の人達は、多かれ少なかれ、戦争によって受けた傷を、自分自身に、あるいは近い身内に持っているのです。
戦争で、実際戦った方々も、自分たちの心を狂気に持っていかなければ、戦争という行為は出来ないでしょう。後には、キット、悲しみと、精神の崩壊が待っているのではないかと容易に想像できます。
知っている方も多いかと思いますが、「内なる平和への歩み」 ピース・ピルグリム と言う方のWEBサイトを見ました。彼女の本名は分かりません。 1981年に亡くなるまで、文字通り”無一文で”歩きながら平和の道を説きました。
その解説には「生存への欲求によって、不安定ながらある種の世界平和がもたらされ、それを維持するために、大きな内的目覚めが必要になる」時代が来ることを予言しています。今、この言葉は、ますます、重要さを増しているのではないかと思います。
彼女は、「与えられる限りのものを与えること」に人生の意義を認め、ライフワークは「平和のために働くことでと自覚」します。
1953年、世界平和のために巡礼に出ました。足と信念と祈りだけを頼りに。沢山の人達とふれあうことを目的とする巡礼の旅はは昔から行われてきました・・・・・・、と始まります。
日本でも、古来巡礼の旅は沢山の人々を惹きつけてきました。四国88カ所、西国33カ所の巡礼は関西に住んでいると、巡礼をしてきた人に会うこともまれではありません(歩きの方は、私はたった一人だけお目にかかりました)。その主な目的は自己救済で有ろうかと思います。私自身、観光気分で、昔熊野古道を3泊4日で歩いたり、木曾街道を歩いたりいたしましたが、 そのような巡礼と際だって異なり、アメリカを4000㌔歩くことによって、人々に平和を語ったことです。そこには、自己の救済を越えています。
彼女の美しい顔写真と、日本語に翻訳されている6ページの文章が、私に大きな生きる示唆を与えてくれました。

