今日は朝から暖かく、一年前の同じ日

とは全く違う空気の優しさに

少しだけホッとします晴れ

 

 

 

 

一年前の今日、2020年11月10日

 

 

庭のヤマボウシの木も公園の樹木も

色鮮やかに紅葉していたあの日、

 

 

お外でお世話をしていたキジトラの猫が

交通事故で旅立ちました。

 

 

わずか1歳3ヶ月。

 

 

私はその子に「うめ」という名前を

つけてお世話をしていました。

 

 

うちのすぐ後ろの道路で白昼事故に遭い

友達が知らせてくれた時には、

すでに2時間ほど経っていました。

 

 

道路の真ん中で横たわったうめを

私は躊躇することなく、タオルでつつみ

抱き上げて庭へ運びました。

 

 

 

 

 

その日、

キリッとした冷たい空気の中で

朝日を浴びながら毛繕いをしていたうめ。

 

 

外猫でお世話していた中で唯一

撫でさせてくれて、頭や顎を撫でると

気持ちよさそうに目を細めていた可愛い

可愛い女の子。

 

 

 

私は心の整理ができないまま、

ただ必死で庭の、うめがよく

通っていたお勝手の後ろに穴を夢中で

掘り、気がつくと手に豆ができて

いました。

 

 

泣きながら穴を掘っていると

なぜかこれが最後ではなく

うめにもう一度必ず会えるような気がして、

 

 

「大丈夫、また会える、また会える」

と自分に言い聞かせながら

涙を拭いては穴を掘り続けました。

 

 

うめは、さくらと名付けた母猫がいて

さくらはその前の年の7月、4匹の子猫を

連れて現れましたが唯一うめだけが残り、

一緒にお世話をしていました。

 

 

さくらは野良猫特有の警戒心の強い猫で

うめだけ保護しようと思いましたが、

母猫のことが大好きでいつも甘えていたので

引き離すことに良心が痛み、2匹とも

避妊手術だけしたのです。

 

 

さくらは私が穴を掘っているところへ

現れ、うめのことを伝えると少しの間佇んで

すぐに行ってしまいました。

 

 

まるで、それは自然の摂理とでも言っている

かのような、全てを受け入れたように私は

感じました。

 

 

その日の夜、ご飯を食べに来たさくらは

何度も何度も背後の、

うめを埋葬したあたりを

振り返っては食べるの繰り返しでした。

 

 

きっとうめが食べに来ているのだろうと

思うのと同時に、

 

あんな形で突然命を奪われて、

うめはちゃんと

自身の死を受け入れて還るべき場所へ、

お空へちゃんと還ることが

できるのだろうかと

 

その事が1番私の心に引っかかりました。

 

 

私はその時アニマルコミュニケーションを

習っていた先生にメールで聞いてみることに

しました。

 

 

すぐに返信は送られてこず、

ただまるでその日に合わせて返信を送って

くださったようなタイミングで届いたのです。

 

 

返信を待っている数日間、

何気ないありふれた普通の一日を過ごす

はずだった尊い命が、

突然奪われたことにやり場のない悲しみが

何度も襲ってきました。

 

 

救いとなったのは、事故に遭う前お昼ご飯で

お腹いっぱいにしてあげられていたこと、

 

 

犬の散歩などで見かけた人が何人か役所に

連絡して引き取りに来る前に、私がうめを

連れて帰って庭に埋葬してあげられたこと

です。

 

 

それはきっと、うめと神さまが私に

与えてくれた最大限の優しさなのかもしれない

と思いますおねがい

 

 

 

明日に続きます…

 

 

 

 

今日もお読みいただきありがとうございました音譜

 

 

 

 

近くの公園