ああ、黄砂の季節やね……くどぅ… | ちょっと田舎に住むアラフィフおっさんの節約生活

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今はバァバと二人暮らしの節約生活

黄砂の季節になると毎年思い出すあの人…



せやかて工藤!


じゃなくて
嵐を起こしてすべてを壊す方の人…


工藤静香

1989年
「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」が大ヒットした年



1989年…そう、それは激動の年…



元号が昭和から平成に改められ、
消費税の導入が始まった年。

そして、ベルリンの壁崩壊に
アメリカとソビエト連邦の両首脳によるマルタ会談。

44年間続いた東西冷戦は終結し、
世界は新しい秩序を構築していこうとしていた。


混沌とした世界情勢の中で
多感な時期を過ごした今のおっさん達。


目まぐるしく価値観が変化する世の中に
気持ちが追いつかず、社会から置いてけぼりに
されそうになる焦燥感を持っていた。


僕らは行き場のない焦りを心の奥底に閉じ込め、
必死に時代に取り残されないようにと
あの時代を走っていた。

自分が吐き出す言葉の無力さを
切実に感じとっているが、
何をどうしていいか分からず無気力に生活する日々。


バブル景気の真っ只中、
大量消費と浪費の言葉の意味の区別がつかなくなる感覚。

生活は豊かになり経済的に潤っても、
どこか心の片隅には絶えず渇きを感じていた。


あの頃、僕たちはLAメタルに夢中になっていた。
毎月のお小遣いをLPレコードに費やし、
レコード派とCD派の答えの出ない論争に時間を浪費していた。

音楽雑誌「BURRN!」の表紙はなぜヌルっとしているのか?
そんなクッソくだらない話で盛り上がり、
日本の歌謡曲には全く興味がなかった。


しかし、
そんなおっさんでも記憶に残る歌謡曲があった。

工藤静香の
「嵐の素顔」と「黄砂に吹かれて」である。

ブラウン管に映し出された工藤静香は、
時代の変化という砂漠に取り残された若者を
救済するようなオアシス的存在であった。


そのメロディは混沌とした社会に生きる
若者の心の隙間に入り込み、
決してポジティブではない歌詞は、渇いた心に同調し、
仲間を得たような気にさせる呪文のように聞こえた。



若者よ!
泣くがいい。声をあげて泣くがいい。
叫べばいい。声がかれるまで叫べばいい。
その涙と叫びは新しい時代を呼ぶ原動力となって、
次の世代のもとに届くことだろう。





ここに我々の世代の生態について
一つの答えを出そう…。


今の若者が昭和のおっさん達を
理解する一助になるはずである。



黄砂が吹く季節になると、
工藤静香の「黄砂に吹かれて」を思い出し、


夏が来ると思い出したように
TUBEの今の活動を検索し、


クリスマスが近づくと
松任谷由実とWham!(ワム!)を思い出し、
牧瀬里穂に思いを馳せながら
静かにクリスマスを過ごす。


そう、
それが昭和時代を生きたおっさん達なのである。
(ちょっと伊藤〇則っぽい文章w)

 

 

黄砂と花粉で、まだまだマスクは必要だよね